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ヨシュア記7:6〜9

6 ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、【主】の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。

7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。

8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。

9 カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」

ヨシュアの祈り

悲しむヨシュア

アイの戦いに敗北したのを見て、ヨシュアは非常に悲しみます。
(1)着物を裂くこと、(2)地にひれ伏すこと、(3)頭にちりをかぶることは、すべて悲しみと絶望の表現です。
なぜここまで彼は絶望したのでしょうか。カデシュ・バルネアでの敗北は、不信仰がもたらした当然の結果でした。しかし今回は、主のみこころだと確信して戦いに出たのです。さらに、アイの戦いは、カナンの地を征服する最初の戦いでした(エリコの戦いは、主ご自身が戦ってくださいました)。この戦いに敗北するなら、これから先希望が持てません。指導者ヨシュアは大いに悩み、苦しみました。

主に祈るヨシュア

ヨシュアは主に祈りました。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです」。この祈りは、荒野でイスラエルの民がつぶやいた内容とよく似ています。しかし、最後になって、ヨシュアの祈りの意図が明らかになります。
(1)イスラエルの民は敵に背を見せました。(2)カナン人たちはそれを聞いて勇気づけられ、イスラエル人を攻めて来るでしょう。(3)その結果、イスラエル人の名は地上から消え去ることになるでしょう。(4)イスラエル人は主の民です。その彼らの名が地上から消え去るということは、主の大いなる御名が辱められることでもあります。
ヨシュアが一番心配したのは、「主の御名の栄光」ということでした。かつてモーセもまた、同じような祈りをしたことがありました(出エジプト記321114参照)。神に用いられる器は、常に主の栄光が現われることを願い、そのために労しています。主イエスもまた、「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました」(ヨハネ17:4)と祈っておられます。神の栄光を現わす生き方をするためには、どこをどう変えたらよいのか、黙想してみましょう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。自分の祝福だけを願うことの多い者です。お赦しください。あなたの栄光が現われる生き方ができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

列王記第二25、イザヤ書1、ローマ人への手紙2