7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
聖化とは、現在進行形の救いです。義認についての学びの中で、私たち人間は、「信仰義認」を唱えながらも、救いの条件として余分なものを付け加えてしまうことがあることを確認しました。聖化の過程においても、似たようなことが起こります。
「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています」(ロマ7:18〜19)。(1)これは、救われて以降に、パウロが体験したことです。「私」という言葉が、18〜19節だけで5回も出てきます。パウロは自分のこの体験を、普遍的体験として語っています。(2)クリスチャン生活における最大の悲劇は、律法を行うことによって聖化を達成しようとすることです。そのような生活は、私たちを律法主義に追い込みます。その行き着く先は、信仰の休業状態です。私たちはこれを、「ロマ書7章クリスチャン」と呼んできました。
聖書が教える聖化とは、以下のようなものです。(1)義認も、聖化も、栄化も、すべて信仰により、恵みによって与えられます。その際に重要なのは、信者は「キリストにあって」新しい命に生かされているということを認識することです。これを、位置的真理と言います。(2)ヨハネ15:5にこうあります。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」。とどまる人は、位置的真理を認識している人です。離れる人は、自力で聖化を求めている人です。(3)ローマ8:11にこうあります。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」。内住の聖霊は、復活の保証です。父なる神は聖霊によって、朽ちるべき私たちのからだを生かしてくださいます。ここに、私たちの希望があります。
位置的真理を日々確認し、御霊に導かれて愛の律法を全うしようではありませんか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。ロマ書7章クリスチャンから脱却し、位置的真理を確認しながら日々歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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