13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
数回前にも書きましたが、15:4〜13は、ロマ書全体の議論のまとめとなっています。キーワードは、「希望」です。4節にはこうありました。「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです」。そこで確認した内容は、「聖書は希望を与えてくれる」というものでした。そして13節にはこうあります。「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように」。この聖句は頌栄になっていますが、ここにも「希望」という言葉が出て来ます。つまり、ローマ15:4〜13は、希望で始まり、希望で終わっているのです。
(1)神は、「望みの神」と表現されています。なぜなら、神は聖書の著者であり、私たちは聖書を通して希望を見いだすからです。(2)その神が、私たちを喜びと平和で満たしてくださいます。自力で喜びと平和を作ることはできません。それは、神から与えられるものです。(3)喜びと平和で満たされると、結果的に希望に満ち溢れてきます。「聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいます」とありますので、この希望は、聖霊の働きによるものであることが分かります。
同じ聖句を、口語訳と新共同訳で見てみましょう。「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように」(口語訳)。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(新共同訳)。(1)ともに、信仰の力が強調された訳になっています。新改訳では「信仰による」となっている箇所が、①「信仰から来る」(口語訳)、②「信仰によって得られる」(新共同訳)などと訳されています。(2)以上のことから、ローマ15:13が論じている「希望」とは、人間が作り出すものではなく、信仰によって得られる希望、聖霊の力による希望、神が与えてくださる希望であることが分かります。
パウロがロマ書全体で論じている内容は、信じる者を真の「希望」に導くためのものです。まさに、「日本の霊的覚醒(目覚め)は、聖書研究から」ということではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。聖書を通して私たちを真の希望に導いてくださることを感謝します。あなたの啓示に応答するための信仰を、私にお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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