1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。
グレーゾーン(2義的事項)に関する勧告は、キリスト論に収束していきます。つまり、クリスチャンの実践とキリスト論とは、密接につながっているということです。以下のことを銘記しましょう。(1)実践のない神学はなく、神学のない実践もない。(2)ロマ書1〜11章(教理的部分)と13〜16章(実践的部分)は、車の両輪の関係にあります。(3)パウロは、1〜11章では神学者として論じ、13〜16章では牧会者として勧告しています。彼の内には、神学者の賜物と牧会者の賜物が併存しています。まことに稀有な人材です。
「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです」(1〜2節)。(1)パウロは、自分を強い人に含めています。(2)ここでパウロは、キリストに倣う者となるようにと勧告しています。 ① キリストは、自分を喜ばせるよりも、人々に仕えることに専念されました。② クリスチャンとは、キリストの弟子のことです。③ 弟子なら、師の行動に倣う者であるはずです。
「キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、『あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった』と書いてあるとおりです」(3節)。(1)これは、詩篇69:9からの引用です。「それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです」(詩69:9)。(2)詩篇69篇は、初代教会の信徒たちの信仰告白となっていたようです。彼らはこの詩篇を、メシア預言と理解していました。(3)イエスがメシアとして登場された時、最初に宮清めをされました。その様子を見た弟子たちの反応が、ヨハネ2:17に記されています。「弟子たちは、『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い起こした」。これもまた、詩篇69篇です。この聖句は、イエスの受難、十字架の死を預言したものです。そのように、御子イエスは、自分の思いではなく、御父の思いを優先されました。その究極が、ゲツセマネの園での祈りです。
もし私たちが、自力で寛容になろうとするなら、ロマ書7章クリスチャンに逆戻りしてしまいます。内住のキリストにより頼むことだけが、ロマ書8章クリスチャンとして生きる方法です。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。キリストは私の内に住んでおられます。そのキリストに信頼して、きょうもこの世に出て行きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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