20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。
21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。
22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
この箇所の2回目の学びです。2義的なことについては、裁き合わないということが教えられてきました。また、強い人は弱い人を配慮するようにとも、教えられていました。これが、「愛の律法」による自由の制限です。きょうはその続きです。
「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです」(22〜23a節)。(1)結局のところ、2義的なテーマに関しては、各自が自分の確信を持って行動するのが一番いいのです。(2)強い人は、自分はキリストにあって自由であり、食べ物や飲み物によって制約されることはないと確信しています。強い人は、その確信を放棄する必要はありませんが、「愛の律法」によってその自由を制限することはあります。(3)弱い人は、強い人の行動に影響された結果、疑いを感じながら行動に移すようなことがあってはなりません。「疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです」とあるとおりです。つまり、良心に反して行動すること自体が罪だというのです。
「信仰から出ていないことは、みな罪です」(23節b)とあります。これこそが、クリスチャン生活の原則です。この聖句を暗記しましょう。(1)パウロは、この箇所の文脈を超えて、普遍的な真理を書いています。「信仰から出ていないことは、みな罪です」という聖句は、あらゆる場合に適用されるものです。(2)この聖句から出てくる適用は、「疑いのある場合は、行動に移すな」ということです。クリスチャン生活は、「24時間営業」です。働いている時も、食事をしている時も、仕事をしている時も、遊んでいる時も、寝ている時も、意識するかどうかにかかわらず、私たちは信仰によって生きています。
最後に、2種類の罪について確認しておきましょう。(1)強い人は、弱い人をつまずかせたときに、罪を犯しています。それはキリストに対する罪です。(2)弱い人は、疑いを持ちつつ行うなら、罪を犯しています。それぞれが、自分の確信を持ち、その確信に従って生きるべきです。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私たちには自由が与えられています。その自由を、愛を実践する機会として用いることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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