8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。
9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。
10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
ローマ13:7でパウロは、「あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい」と命じていました。「義務を果たしなさい」という言葉に触発されて、隣人との関係おける義務に話題が移ったのだと思われます。きょうの箇所は、隣人との関係に関する教えです。今回は、8節だけ見てみましょう。
「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです」(8節)。(1)「何の借りもあってはいけません」とは、単なる借金以上のものを意味しています。これは、銀行からの借り入れを禁止しているのではありません。正当で合法的な経済活動は、許されています。この命令が教えているのは、人の世話になりっぱなしではいけないということです。(2)「ただし、互いに愛し合うことについては別です」とあります。ここでは、「互いに愛し合う」ということが、「借り」と認識されています。つまり、「互いに愛し合う」という「借り」は、完済不可能なものであるということです。日々の愛の実践は、利子だけを支払っているようなもので、「愛するという借り」を完済することはあり得ません。
さらに、「他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです」とあります。(1)「他の人」とは、教会外の人も含む言葉です。相手が信者であってもなくても、私たちはアガペの愛(自己犠牲の愛)をもって愛するのです。(2)隣人とは、私たちの周りにいる必要を抱えている人たちのことです。これが聖書的「隣人の定義」です。(3)この聖句は、外面的な行為だけでは律法を守ったことにならないということを教えています。パリサイ人の中には、律法の形だけを熱心に実行している人たちがいましたが、それでは律法の要求を満たしているとは言えません。律法を知らなくても、愛を実行しているなら、その人は律法を完全に守っているのです。
主イエスの教えに耳を傾けましょう。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハ13:34〜35)。ここに聖書信仰の神髄があります。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。信仰の原点は愛であり、ゴールも愛です。そのことを思い出させてくださり、感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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