14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
この箇所には、教会内の人たちに対して実行すべき6つの勧めが記されています。今回は、② と③ を同時に取り上げます。これらの勧告を実行する力は、聖霊によって与えられます。私たちは常に、位置的真理を確認する必要があります(私たちが、キリストにあってどのような者とされているかということ)。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(15節)。(1)隣人の喜びをともに喜ぶことと、隣人の悲しみを共有することと、どちらが易しいでしょうか。この問いを自問自答してみましょう。(2)クリュソストモス(4世紀の教父、コンスタンティノープルの大司教)は、その雄弁のゆえに、「金口の(golden mouthed)」という言葉を冠して呼ばれるようになった指導者です。その彼が、「ともに喜ぶよりも、ともに泣くほうが易しい」と語ったと伝えられています。(3)なぜ、ともに喜ぶのが難しいのでしょうか。泣く者は、私たちを必要としています。しかし、喜ぶ者は、私たちを必要としていません。私たちがいなくても、彼らは喜ぶことができるのです。それが、ともに喜ぶのが難しい理由です。(4)放蕩息子の兄は、ともに喜ぶことができなかった例です。「ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、…これはいったい何事かと尋ねると、しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです』。すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。…」(ルカ15:25〜28)。兄の問題は、父の心から遠く離れていたことにあります。(5)ヨハネ11:35には、「イエスは涙を流された」とあります。これは、最も短い聖句です。ここには、悲しむ者たちとの一体化の実例があります。
この箇所から教訓を学びましょう。この勧告は、単独のクリスチャン生活はあり得ないことを教えています。信者は、神の家族の一員です。私たちは、同じ天の父を仰いでいます。私たちの最終目標は、父の喜びと悲しみを共有することです。私たちは、天の父が喜ばれることを喜びとし、天の父が悲しまれることを悲しみとします。そのようにして、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」という勧告を全うするのです。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたの喜びは私の喜びであり、あなたの悲しみは私の悲しみです。私を神の家族の一員に加えてくださったことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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