9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
きょうはローマ8:9をじっくりと味わってみます。9節aには、「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」とあります。(1)私たち人間は、何ごとについても否定的な解釈をしてしまう傾向があります。この聖句を否定的に解釈すると、次のようになります。「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら」とあるが、自分には聖霊の内住があるようには思えないので、自分は御霊の中にはいない。これは後ろ向きの解釈で、大いに問題があります。(2)原文では、「あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」という部分が先に出てきます。また、「あなたがた」という言葉に強調点が置かれています。つまり、信者はすでに御霊の中にいるということです。そして、「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら」という部分が後に続きます。「もし」という言葉は、「なぜなら」と訳すべきです。
「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません」とあります。(1)これは信者のことではなく、未信者のことを指しています。未信者は御霊を持たないので、肉の中にあります。(2)ローマ8:9は、信じた瞬間に聖霊の内住が与えられることを最も明確に教えている聖句です。もし、聖霊の内住が霊的成長のある段階まで与えられないとするなら、新生からその時点まで、聖霊の内住を持たない信者が存在することになります。しかし、「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません」とありますので、そのような人は救われていないことになり、救いの教理において矛盾が生じます。
内住の聖霊なしの救いはありません。新生、聖霊のバプテスマ、聖霊の内住は、救いの瞬間に同時に起こることです。(1)内住の聖霊が信者を導いてくださいます。未信者は肉の中にいます。つまり、古い性質にあって生きているということです。信者は御霊の中にいます。つまり、新しい性質にあって生きているということです。(2)信者には罪を犯す可能性が残っています。これは、古い性質の影響を受けて行動してしまうからで、決して未信者の時のように古い性質にあって生きているということではありません。イエスを救い主として信じた瞬間、私たちの内側に内住の聖霊が与えられていることを認め、聖霊の導きに従いましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私たちに御霊を与えてくださり感謝します。きょうも御霊の導きに従って歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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