8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
きょうは、パウロの使命意識について学んでみましょう。前回見たように、パウロは自らを「負債を負った人(債務者)」と考えていました(14節)。その意識はどこから来ていたのでしょうか。(1)彼には、異邦人の使徒として召されたという使命意識がありました。一例として、ローマ11:13 〜 14を見てみましょう。「そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです」。パウロは、自分には異邦人伝道の使命が与えられている、そしてそれは、結果的にユダヤ人の救いにつながると信じています。この文脈では、「ねたみ」がキーワードです。(2)さらにパウロには、特別な啓示を受けたことから来る使命意識がありました。ガラテヤ1:11 〜 12を見てみましょう。「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです」。イエス・キリストの啓示によって福音を受けたということが、パウロの使徒職の証明となり、使命意識の土台となっています(これ以外にエペ3:1〜3、2コリ12:7〜 10など参照)。
「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」(15節)。パウロは、「自分にはローマにいるあなたがたにも福音を伝える用意ができている」と言っています。ローマでの宣教は、個人的な願いというよりも、キリストの導きです。福音は言葉で語らなければ、伝わりません。パウロはそれをしたいというのです。この15節の言葉によって、コリントにいるパウロ(彼はコリント滞在中にこの手紙を書いている)とローマ教会の信徒の間に架け橋ができました。彼はテクニックによってではなく、誠意と情熱を込めた論理によって、「心の絆」という架け橋を構築したのです。
パウロと同じように、私たちにも使命が与えられています。異邦人の使命とは、ユダヤ人に「ねたみ」を与えることと、物質的なものをもって彼らを祝福することです。この点について、私たちは大いに悔い改める必要があります。ユダヤ人に対する異邦人クリスチャンの役割について黙想してみましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。異邦人教会が長期にわたって保持してきた反ユダヤ的神学と態度をお赦しください。ユダヤ人にねたみを与えるようなクリスチャン生活を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ハバクク書1~3、テモテへの手紙 第一1
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