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出エジプト記38:9 〜 20

9 彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は百キュビトのり糸で織った亜麻布でできていた。

10 柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。

11 北側も百キュビトで、柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。

12 西側には、五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個。柱の鉤と帯輪は銀であった。

13 前面の東側も、五十キュビト。

14 その片側には十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、その台座は三個であった。

15 庭の門の両側をなすもう一方の片側にも十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、台座は三個であった。

16 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。

17 柱のための台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀、その柱の頭のかぶせ物も銀であった。それで、庭の柱はみな銀の帯輪が巻きつけられていた。

18 庭の門の幕は、刺繍されたもので、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできていた。長さは二十キュビト。高さ、あるいは幅は五キュビトで、庭の掛け幕に準じていた。

19 その柱は四本。その台座は四個で青銅であった。その鉤は銀であり、柱の頭のかぶせ物と帯輪とは銀であった。

20 ただし、幕屋と、その回りの庭の釘は、みな青銅であった。

幕屋の庭

幕屋の庭(出27:9 〜19 の成就)

この箇所にも、命令と成就の関係がある。幕屋の庭の制作は、出エジプト27:9 〜19 で命じられていたが、この箇所はその成就である。幕屋の庭は、亜麻布の掛け幕で囲われた空間である。その空間が、荒野の中での「聖なる空間」となった。かつて筆者も、原寸大の幕屋の模型の中に立ったことがあるが、幕で囲われた中庭は、外部から遮断しゃだんされた厳粛げんしゅくな空間だと感じた。中庭の広さは、東西が44.5m、南北が22.3m で、総面積は約990 平米(約300 坪)である。
幕屋の庭を造るための掛け幕は、「イスラエルの民を異邦人から区別する」という役割を果たした。幕屋全体が、神が聖であることを教える視聴覚教育になっていたことを思い出そう。幕屋を通し、いけにえの動物を通し、また祭司たちを通して、イスラエルの民は神が聖であることを学んだ。また、聖と俗とを混同することは許されないということも学んだ。それは、罪人はそのままの姿では神のもとに出ることができないということでもある。神に近づくためには、神が用意された方法によらなければならない。幕屋は、そのことをイスラエルの民に教えた。そして私たちも、そこから教訓を学ぶことができる。

私たちへの教訓

旧約聖書では、幕屋は罪人が神に近づくための唯一の方法であった。新約聖書では、別の方法(幕屋が予表していた方法)が啓示された。それは、聖なる神が罪人のいる所まで下ってくださり、和解の道を開いてくださった、というものである。使徒パウロは、このように語っている。「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。…神の和解を受け入れなさい」(2 コリ5:19 〜20)。
イエス・キリストは、すべての人が神に近づくことのできる道を開いてくださった。その神の和解を受け入れる人は、幸いである。その人は、恵みと信仰によって救われる。その人は、神の子であり、クリスチャンである。イエス・キリストを通して神との平和を得ていることを感謝しようではないか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私のために和解の道を開いてくださったことを感謝します。主イエスが私の罪のために死んでくださったことを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書32~33、エペソ人への手紙3

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