14 神である【主】は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
人に悲しい現実が襲いかかった。肉体的な死が、この時から人の生活の中に入り込んだのだ。「ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」とある。これまでは、人は死と無関係な存在であったが、これ以降は、肉体が土に帰るという経験をするようになる。
聖書は、死の現実に何度も言及している。「すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る」(ヨブ34:15)。「あなたが御顔を隠されると、彼らはおじ惑い、彼らの息を取り去られると、彼らは死に、おのれのちりに帰ります」(詩104:29)。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」(伝12:7)。新約聖書では、ローマ5:12〜21、1コリント15:20〜23などが参考になる。
聖書は、アダムというひとりの人によって罪と死がこの世に入り、死が全人類に広がったと教えている。これは比ゆ的言葉ではなく、歴史的事実である。その悲惨な現実から私たちを救うことのできるお方は、イエス・キリストだけである。「もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです」(ロマ5:15)。アダムの堕落が歴史的事実であるように、イエス・キリストの死も歴史的事実である。
クリスチャンになるとは、アダムとつながっていた状態を悔い改め(方向転換をし)、主イエスとつながることである。私たちは、イエス・キリストにあって義とされ、いのちをいただいている。聖化も栄化も、すべてイエス・キリストにあってなされる神の業である。日々の生活の努力の方向を間違えていないかどうか、自己吟味しようではないか。最優先課題は、「イエス・キリストにあって」歩むことである。私たちの内に流れているのは、イエス・キリストのいのちなのである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。信仰で始まったことは、信仰によってしか完成されません。努力の方向性を確認できたことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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