17 【 主】はまたモーセに告げて仰せられた。
18 「 洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。
19 アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。
20 彼らが会見の天幕に入るときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。また、彼らが、【主】への火によるささげ物を焼いて煙にする務めのために祭壇に近づくときにも、
21 その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」
モーセは今、シナイ山の頂上にいて、幕屋建設に関する指示を神から受けている。この箇所は、洗盤に関する命令である。
モーセは、青銅の洗盤と青銅の台を作り、その中に水を入れるように命じられた。祭司たち(アロンとその子ら)がその水で手と足を洗うため(きよめの洗い)である。洗盤の水の中に手足を入れて洗うわけではない。洗盤は、バスタブではなく、水を貯蔵するためのタンクである。そこから水を出し、その水で手と足を洗うのである。
洗盤を置く場所は、幕屋と祭壇の間である。祭司たちは幕屋と祭壇の間を行き来するので、その中間に置くのが動線の上から最も便利である。アロンとその子らは、会見の天幕に入る時と、祭壇に近づく時に、そこで手と足を洗う。その理由は、「彼らが死なないため」である。この規定は継続されるものである。「これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである」
洗盤の水は、真理のみことばを象徴している。(1)ヨハネ15:3 を見てみよう。主イエスはこう言われた。「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです」。(2)さらに、ヨハネ17:17 を見てみよう。これは主イエスの祈りである。「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です」。私たちは、真理のみことばによって聖め別たれた。(3)最後に、エペソ5:25 〜27 を見てみよう。パウロはこう書いている。「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです」
洗盤という具象化されたイメージを、霊的生活に適用してみよう。私たちは日々、真理のみことばによって聖め別たれている。それゆえ、日々のデボーションはクリスチャンにとって祝福の源である。きょうも、真理のみことばに立ち、この世に出て行こう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。旧約時代の祭司たちが洗盤の水できよめられたように、今私を、真理のみことばで聖め別ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書14~15、コリント人への手紙 第一13
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