18 神である【主】は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
19 神である【主】は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。
20 人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。
21 神である【主】は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
22 神である【主】は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
23 人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
25 人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
(1)神は、「人が、ひとりでいるのは良くない」(18節)と言われた。いままでは、「良かった」という言葉しか出ていなかったが、ここで初めて「良くない」という言葉が登場する。これは、「悪い」という意味ではなく、「未完成である」、「満たされていない」という意味である。助け手のいない男は、未完成なのである。(2)「助け手」(エゼル)という言葉は、価値が低いことを意味しているのではない。その証拠に、この言葉は神ご自身を指すものとしても用いられている(出18:4。エリエゼルという名は、「神は助け」という意味)。堕落以前の男女関係には、支配関係や上下関係はなかった。
実際に助け手を造る前に、神は不思議なことをされた。(1)野の獣と空の鳥が、アダムのところに連れて来られた。家畜はすでに彼とともにいた。(2)アダムは、それらの生き物に名を付けた。これは、人が動物界の上に権威を持っていることを示す行為である。この箇所から、人は造られた瞬間から言葉を持っていたことが分かる。(3)アダムは、すべての生き物に名前を付け終わった時に、孤独を味わった。自分にふさわしい助け手が見当たらなかったからである。
助け手(女)は、アダムのあばら骨から造られた。(1)「あばら骨(ツェラー)」とは、脇腹のことである。神は、人の脇腹から骨と肉とを取り、そこを肉でふさがれた。(2)次に、人の脇腹から取ったものをひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(3)人は女を見て、「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉」(23節)と言った。これは、人が女に対して語った契約の言葉である(2サム5:1で、北の10部族がダビデに対してこのことばを語っている)。(4)人と女の間に結ばれた契約とは、「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」(24節)というものである。「その父母を離れ」は精神的な自立を、「一体となる」は互いに契約を守り続ける状態を指す。(5)人とその妻は、神に対しても、お互いに対しても、隠したり、恥じたりする必要のない状態にあった。
堕落以前の世界には、理想的な男女関係があった。神が人を男と女に造った目的は、彼らに神の栄光をたたえさせるためであった。そこには、男女の優劣を論じる余地は全くない。結婚という制度を通して、神の栄光が表されるように祈ろうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私たちが生かされている目的は、あなたの栄光をほめたたえるためです。私の人生が、あなたの栄光の現れとなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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