9 それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った。
10 そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。
11 神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした。
「それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った」。ここまでの契約締結の手順は、次のとおりである。①モーセによる契約書の朗読、②契約内容に対する民の同意、③いけにえの血の半分を祭壇に注ぐ、④いけにえの血の残りの半分を民に注ぐ、⑤以上のことを行ってから、モーセとその一行は、山に上って行った。
「そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった」。モーセ以外の人々にも、この驚くべき光景を見るという特権が与えられた。その理由は、モーセが【主】から啓示を受けたことを証言する証人となるためであろう。しかし彼らは、神の御姿を見たわけではない。彼らが見たのは、シャカイナグローリー(神の臨在に伴う栄光)である。「サファイヤを敷いたようなもの」と「透き通っていて青空のようであった」という表現は、いずれもシャカイナグローリーを示したものである。
「神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした」。(1)神を見たなら死ぬというのが、イスラエル人の一般的な認識である。しかし、彼らは死ななかった。神から特別な恵みをいただいたからである。(2)それどころか、彼らは神とともに契約の食事をするという特権に与った。彼らは、和解のいけにえ(雄牛の肉)を食べたのである。
聖書の中には、和解の食事や契約の食事というものが登場する。ガリラヤ湖畔で、復活のイエスが弟子たちのために用意された食事は、和解の食事であった。この食事によって、イエスを裏切った弟子たちは、イエスと和解した。さらに、最後の晩餐は、新しい契約のための食事であった。この食事は、本来は「過越の食事」である。その食事を、イエスは新しい契約のための契約の食事とされた。私たちが与る聖餐式は、それを記念するための聖礼典である。私たちは、どのような心構えで聖餐式に与っているだろうか。聖餐式は、主イエスの死を記念すると同時に、主イエスの再臨を覚えるために、私たちに与えられたものである。私たちは、新しい契約のゆえに、主イエスを通して父なる神との平和を持つようになった。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ロマ5:1)
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。聖餐式の意味について黙想することができました。感謝します。今「神との平和」を持つ者とされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
イザヤ書20~21、詩篇51~ 52
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