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出エジプト記17:7

7 それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「【主】は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、【主】を試みたからである。

メリバという地名

マサ、またはメリバ

「それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた」。この意味について考えてみよう。(1)命名者はモーセである。彼は、この場所で起こったことを記念するために、そこに名前を付けた。(2)モーセはこの地に2 つの名前を付けた。マサ。その意味は、「試みる」である。イスラエルの民が【主】を試みたので、そういう名前になった。メリバ。その意味は、「争う」である。イスラエルの民がモーセと争ったので、そういう名前になった。

民数記20 章のメリバ

メリバという地名は、民数記20 章にも出て来る。同じ地名だが、場所は異なる。しかも、この命名は約40 年後に起こった。民数記20 章のメリバでは、神はモーセに、「彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す」と言われた。出エジプト記17 章のメリバでは、モーセは杖で岩を1 度打ち、水を出した。それに対して、民数記20 章のメリバでは、岩に向かって言葉を発するだけで良かった。しかし、民の不信仰に激怒したモーセは、杖で岩を2 度打った。その不従順の罪のために、モーセはカナンの地に入れなくなった。「その程度の罪で、カナンの地に入れなくなるとは、モーセがかわいそうではないか」という質問をよく受ける。それをどう考えたら良いのか。
(1)メシアは、打たれるために(十字架で死ぬために)来られる。今の時代、すでにその部分は成就した。岩はメシアを象徴している。その岩はすでに1 度打たれたのである。再び打つ必要はない。私たちは、イエスがメシアであることを信じた。一度信じたなら、それ以降は信じ直す必要はなく、願うだけで良いのである。それを教えているのが、1 ヨハネ1:9 である。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。(2)メシアは再臨されるが、その時は打たれるためではなく、王として君臨するために来られる。岩を2 度打ってはいけないというのは、そういう理由からである。岩がメシアを象徴していることが分かると、いろいろな疑問が解けて来る。
「だから、神である主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはシオンに一つの石をいしずえとしてえる。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない』」(イザ28:16)。岩なるキリストの上に人生を築く人は、動かされることがない。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。一度信じた者には、ヨハネ1:9 の聖句は、慰めであり力です。罪を犯した時には、直ちにそれを告白し、赦しを得ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第一2~3、ルカの福音書17