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出エジプト記12:29 〜 33

29 真夜中になって、【主】はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜ほりょの初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。

30 それで、その夜、パロやその家臣および全エジプトが起き上がった。そして、エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである。

31 パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、【主】に仕えよ。

32 おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」

33 エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう」と言ったからである。

第十の災い

長子の死

第十の災い(フィナーレ)は、エジプトの長子の死である。これは、エジプトに深い衝撃と悲しみをもたらした。「真夜中になって、【主】はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた」。(1)時は「真夜中になって」である。その時刻は、エジプト人たちの眠りが深くなった時、最も平安が必要な時、である。その時刻に裁きの天使が活動した。何と恐ろしいことであろうか。(2)エジプト人たちにとって悲劇的だったのは、神を「裁きの神」として体験的に知るようになったことである。(3)人間の初子から家畜の初子に至るまで、すべての初子が打たれた。さらに、パロの初子から捕虜の初子に至るまで、例外なしに打たれた。神にとっては、地位や身分は関係のないことである。(4)エジプト人のすべての家が何らかの被害を受けた。その結果、エジプト中に激しい泣き叫びが起こった。

パロの反応とエジプト人の反応

パロは、ついに完全降伏した。今回は妥協なしに、モーセの要求に応じた。完全降伏ではあっても、彼の口調は命令調である。パロはモーセにこう命令した。(1)私の民の中から出て行け。(2)行って、【主】に仕えよ。(3)家畜も連れて出て行け。(4)私のためにも祝福を祈れ。
イスラエル人を追い出そうとしたのは、パロだけではない。エジプト人たちもまた同じ反応を示した。彼らもまた、イスラエルの民をせき立て、強制的にエジプトから追い出した。このままイスラエル人がエジプトにいると、自分たちも殺されると思ったからである。
ここで主の再臨について考えてみよう。私たちは、主をどのようなお方として知るようになるのだろうか。祝福を与えるお方としてか、罪を裁かれるお方としてか。主イエスの再臨は、真夜中ごろ(比喩ひゆ的言葉)にやって来る(1 テサ5:1 〜6)。それゆえ、目を覚まし、光の子として光の中を歩む必要がある。過越の祭りは、イスラエルの歴史のピークとなる出来事だが、主が再臨される時、それ以上のことが起こる。それは、終末時代にイスラエルが世界各地から集められるという「終末の回復」である(エレ16:14 〜15、23:7 〜8 参照)。この預言は、千年王国においてすべて成就する。主イエスを信じ、主に従う者には、平安がある。きょうも主イエスにつながり、闇の中ではなく、光の中を歩もう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私は光の中を歩んでいます。それゆえ、災いが突然私を襲うことはありません。今心にある平安を感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

申命記17~18、マタイの福音書23