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出エジプト記6:9 ~ 13

9 モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆らくたんと激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった。

10 【 主】はモーセに告げて仰せられた。

11 「 エジプトの王パロのところへ行って、彼がイスラエル人をその国から去らせるように告げよ。」

12 しかしモーセは【主】の前に訴えて言った。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。私は口べたなのです。」

13 そこで【主】はモーセとアロンに語り、イスラエル人をエジプトから連れ出すため、イスラエル人とエジプトの王パロについて彼らに命令された。

逆戻りするモーセ

モーセに反抗するイスラエル人

モーセは、神に命じられたとおりにイスラエルの民に伝えたが、結果は思わしくなかった。民は、最初はモーセを信じたことを忘れてしまっていた(出4:31)。(1)「モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった」。イスラエルの民がモーセに耳をかたむけなかった理由は、一度希望を持ったが、それが裏切られたからである。彼らは落胆し、激しい労役に苦しんだ。(2)モーセに【主】からの語りかけがあった。「エジプトの王パロのところへ行って、彼がイスラエル人をその国から去らせるように告げよ」。イスラエルの民はそのままにしておいて、パロに「イスラエル人をエジプトから去らせよ」と語れというのである。(3)モーセは次のように応答した。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。私は口べたなのです」。モーセもまた、落胆していた。彼は再び人間の理屈を並べるようになった。つまり、シナイ山麓さんろく召命しょうめいを受けた時の状態に戻ったのである(出3:1 ~ 4:13)。「口べた」とは、「唇に割礼かつれいがない」、つまり、唇が清められていないということである。
私たちにも、信仰が後戻りするようなことが襲って来る。そのような場合、必ず次の3 つのことが起こる。状況だけをながめて暗い気持ちになる。徐々に神から心が離れて行く。人間的に自分の能力を判定し、無力感にとらわれる。

神の命令

(1)モーセが「私は口べたなのです」と語ったので、神はモーセとアロンの2人に次のように命じた(モーセは、アロンが彼の代弁者であることを忘れていたのであろうか)。イスラエル人にはいかに行動すべきかを伝え、パロにはイスラエル人を去らせよと命じるように。
(2)神の前には障害物が立ちはだかっていた。民は救いようのないほど落胆し、不信仰におちいっていた。モーセとアロンは民を説得することに失敗し、これ以上神の命令に従うのが難しい状態になっていた。エジプトの王パロは、イスラエルの民に対して、以前にも増して敵意を抱くようになっていた。
しかし神は、ブルドーザーのようにあらゆる障害物を排除し、目的達成のために前進される。私たちが信じている神は、すべてを可能にされるお方である。自分が置かれている環境や直面している問題から目を離し、全知全能の神を見上げよう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私には、人間的に自分の能力を判定し無力感にとらわれることがあります。お赦しください。今あなたにつながります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

レビ記20 ~ 21、マタイの福音書2

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