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出エジプト記4:29 ~ 31

29 それからモーセとアロンは行って、イスラエル人の長老たちをみな集めた。

30 アロンは、【主】がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行ったので、

31 民は信じた。彼らは、【主】がイスラエル人をかえりみ、その苦しみをご覧になったことを聞いて、ひざまずいて礼拝した。

モーセを信じるイスラエルの民

イスラエル人の長老たち

モーセとアロンは、イスラエル人の長老たちをみな集め、彼らに語った。長老たちとは、各部族を統括とうかつする統治者集団である。長老たちを迂回うかいして民を動かすことは、不可能であると同時に、非常に危険なことである。
ここで、モーセとアロンは役割を分担している。(1)アロンは、モーセの代弁者として語った。ここでは、【主】のことば→モーセ→アロン→長老たち→民という伝達経路が成立している。(2)モーセは、民の前でしるしを行った(アロンがモーセの命令で行った場合でも、それはモーセが行ったのと同じである)。(3)モーセが行ったしるしは以下の3 つで、すべて神から命じられたものである。杖を蛇にし、蛇を杖に戻す。手をふところに入れて皮膚病にし、再びふところに入れて元に戻す。ナイル川の水を血に変える。

イスラエルの民の応答

「民は信じた。彼らは、【主】がイスラエル人を顧み、その苦しみをご覧になったことを聞いて、ひざまずいて礼拝した」。(1)3 つのしるしを見て、民は、モーセが解放者として神から派遣された人物であることを信じた。(2)彼らは、「ひざまずいて礼拝した」。これは、アブラハムのしもべエリエゼルの礼拝と同じである(創24:26)。「ひざまずく」のは、神に対する畏敬いけいの念を示すためである。彼らは、神が恵みによって働かれたとの認識を持ち、神を礼拝したのである。(3)しかし、彼らの信仰は表面的なものであった。それは、後になって明らかになる。その一例が、出エジプト14:10 ~12 に出て来る。彼らは、パロの軍勢が迫って来るのを見て過剰に反応し、パニック状態におちいった。目先の状況で一喜一憂いっきいちゆうするのは、表面的な信仰しか持っていない証拠である。
ここから教訓を学ぼう。「種蒔たねまく人」のたとえの中に、岩地が出て来る。「また、別の種が土のうすい岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないためにれてしまった」(マタ13:5 ~6)。イスラエルの民の信仰は、まさにこの岩地のようである。しかし私たちには、イスラエルの民を笑う資格はない。私たちもまた、表層的な信仰で満足していることがよくあるからである。キリスト教界の教えの中にも流行があるようだが、その流行に乗ると、不安定な信仰生活を送ることになる。神のことばを学び、深く根を張る信仰を自分の内に育てよう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。深く根を張る信仰について教えられました。どうか、私の信仰が育ちますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

出エジプト記39 ~ 40、ヨハネの福音書15

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