15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
前回は、ユダヤ人迫害の第1 段階を見た。この箇所から、第2 段階が始まる。その内容は、計画的な嬰児殺しである。エジプトの王は、ヘブル人の助産婦に命じてその計画を実行しようとする。「ヘブル人」とは、イスラエル人が自分たちのことを異邦人に紹介する時に使う言葉である。
王は助産婦たちにこう命じた。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ」。「産み台の上を見て」を直訳すると、「2 つの石を見て」となる。出産の時に2 つの石の上に座るのは、当時の習慣である。
古代の法律では、子どもの人種は、父親によって決まった。イスラエル人の女がエジプト人と結婚して子を産むなら、その子はエジプト人となり、エジプトの人口増加につながる。あるいは、イスラエル人の女を別の人種の奴隷と結婚させて子を産ませるなら、奴隷の数は増える。いずれにしても、イスラエル人の女の子を生かしておくことは、エジプトにとって好都合である。しかし、男の子の場合は、そうはいかない。成人すると、エジプトへの反逆を企てるかもしれない。それで、男の子だけを殺せという命令になったのである。
助産婦たちの名は、シフラとプアである。エジプトにヘブル人の助産婦が2 人しかいなかった訳ではない。彼女たちは、助産婦集団を統率する管理者であったと思われる。彼女たちは、エジプト人の王を恐れるか、神を恐れるかの選択を迫られた。王は権力者で、思いのままに人を動かすことが出来た。それに対して、助産婦たちは奴隷で、貧しくて無力であった。こういう場合、私たちならどういう選びをするだろうか。肉の目は地上の権力者を恐れるが、信仰の目はそれ以上に神を恐れる。助産婦たちは、神を恐れることを選び取った。この選択は、神の義にかなったものである。聖書には、「【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴1:7)とある。無力な助産婦たちは、信仰によってパロに勝利したのである。
この2 人の助産婦の選択を自分の生活に適用してみよう。日々の生活において選択を迫られた時、私たちは何を基準に道を選んでいるだろうか。【主】を恐れることこそ、知恵ある道であり、祝福を受ける秘訣である。
きょうの祈り
全知全能の神よ。私の内に、あなたへの恐れを作り出してください。聖書が教える知恵と知識を私に体験させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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創世記 45~46、箴言 4
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