45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。
48 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
49 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう」と言った。
50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
午前9 時に十字架につけられたイエスは、正午まで人間の怒りを経験された。正午になると、全地が暗くなり、それが午後3 時まで続いた。この3 時間の間に、イエスは父なる神の怒りをその身に受けた。
(1)イエスは神の子としてではなく、人間として(人類の代表として)十字架につき、死んでくださった。(2)イエスは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と祈られた。これは、十字架上での第4 の祈りであり、詩篇22:1 の引用である。ユダヤ人の習慣では、最初の節を引用すると、その詩篇の全部を引用したことになる。従って、イエスは詩篇22 篇全部を引用されたと考えてよい。(3)詩篇22 篇は、イザヤ53 章と並んで、代表的なメシア受難の預言である。イエスは、メシア受難の預言がご自身の十字架の死によって成就したことを示された。(4)これまでイエスは、父なる神に対して、「父」(170回)、あるいは、「わたしの父」(21 回)と呼びかけておられたが、ここでは「わが神」と呼びかけておられる。その理由は、イエスと父なる神の親子関係が断絶し、イエスが霊的に死んだ状態になったからである。(5)イエスの祈りは、失敗者の言葉のように聞こえるが、そうではない。詩篇22 篇は、父なる神に助けを求める祈りなのである。
その祈りは、すぐに聞き届けられた。(1)周りにいた人たちは、イエスがエリヤを呼んでいるのではないかと勘違いした。ヘブル語では、「エリヤ」の短縮形は「エリ」なので、「エリ」という言葉は、「わが神」とも「エリヤ」とも取れる。(2)イエスは最後に「大声で叫んで」、息を引き取られた。ルカ23:46 には「父よ。わが霊を御手にゆだねます」とある。イエスが再び、「父よ」と呼びかけていることに注目しよう。それまでは「わが神」と言っていたのに、ここでは「父よ」と呼びかけている。イエスの祈りが聞かれ、父なる神との関係が直ちに回復されたことが分かる。(3)つまりイエスは、肉体の死を遂げる前に、霊的に死んで、霊的に復活されたということである。
イエスを信じる者は皆、同じ体験をする。(1)私たちは、イエスとともに十字架につけられた。それは、神の怒りを経験したということである。(2)イエスが神との関係を回復されたように、私たちもまたイエスにあって神との関係を回復することができた。イエスを通して父なる神に感謝の祈りをささげよう。
きょうの祈り
天の父よ。私はキリストとともに十字架につけられ、キリストとともによみがえりました。すでに神の子とされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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