43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
45 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。
46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
47 まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。
48 ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、
49 その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、
50 そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
51 そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
メシアの再臨を待つ信者たちは、いつそれが来てもよいように備えておかなければならない。その点を強調するために、イエスは合計5 つのたとえ話を語っておられる。最初のたとえ話は、マルコ13:33 ~37 に出てくる。残りの4 つは、マタイに書かれている。ここではマタイに出てくる4 つのたとえ話を、順番に見ていくことにする。これらのたとえ話に共通するテーマは、備えのある者とそうでない者の対比である。備えのある者とは、イエスをメシアと信じる者たちであり、備えのない者とは、イエスを信じていない者たちである。
マタイに出てくる第1 のたとえ話は、「泥棒の侵入を許さない家の主人」の話である。泥棒がいつ来るか分かっていれば、その侵入を防ぐことができる。しかし、それが分からないのだから、いつ狙われても大丈夫なように準備しておく必要がある。そのように、再臨を待つ信者たちも、常に備えができていなければならない。
次のたとえ話は、「家の管理を任されたしもべ」の話である。主人が管理人に大家族の管理をすべて任せて旅に出るのは、珍しいことではなかった。(1)管理人には、その家のしもべたちに食事をきちんと与える責任がある。(2)その命令を実行する「忠実な思慮深いしもべ」には、主人からさらに大きな仕事が委ねられる。(3)しかし油断したり、自分の立場を悪用して仲間を打ちたたいたり、宴会騒ぎをしたりする不忠実なしもべは、思いがけない時に帰って来る主人から、厳しく処罰されることになる。
くり返しになるが、忠実なしもべ(備えのある者)と不忠実なしもべ(備えのない者)の差は、信仰のある者とない者の差である。主イエスがこれらのたとえ話を語られてから、約2 千年が経過した。人間の目には、メシアの再臨が遅すぎるように見えるかもしれないが、そうではない。神の計画は、人間のタイムテーブルに従って進むものではない。時が来たなら、速やかにメシアの再臨が起こる。それに備える唯一の方法は、メシアを信頼することである。もう一度自らの備え(信仰)を確認しよう。また、備えのできていない人(イエスを信じていない人)を待っている悲惨な運命を思い浮かべ、その人たちに熱心に福音を宣べ伝えようではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。イエスを私の救い主、人生の主と信じます。主イエスの再臨を心から待ち望みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
歴代誌 第二7~8、ヨハネの黙示録12
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら