1 イエスはこの話を終えると、ガリラヤを去って、ヨルダンの向こうにあるユダヤ地方に行かれた。
2 すると、大ぜいの群衆がついて来たので、そこで彼らをいやされた。
3 パリサイ人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、こう言った。「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」
4 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、
5 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
6 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
7 彼らはイエスに言った。「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」
8 イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。
9 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」
10 弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」
11 しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。
12 というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」
パリサイ人たちはイエスを陥れるための質問をした。このときイエスは、ヨルダン川の東(ペレヤ地方でヘロデ・アンティパスの領地)にいた。ヘロデ・アンティパスは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとり、それを糾弾したバプテスマのヨハネの首をはねた人物である。もしイエスが離婚と再婚について厳しい発言をするなら、ヘロデヤを怒らせることになる。パリサイ人たちは、イエスが殺されることを願ってこの質問をしたのである。
さらに、パリサイ派の中には、離婚に関してヒレル派とシャマイ派の論争があった。申命記24:1 には、「人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならない」とある。両派は、離婚理由となる「恥ずべき事」の解釈について対立した。①ヒレル派は、それを広義に解釈し、料理が下手なだけでも離婚理由になるとした。②シャマイ派は、それを狭義に解釈し、妻の不貞だけが離婚理由であるとした。③パリサイ人たちの質問は、どちらに賛意を表明しても、イエスにとっては不利になるようなものであった。
(1)創造の秩序の中では、離婚は想定されていない。(2)モーセが離婚状を渡せと命じたのは、命令ではなく許可であった。つまり、人々の心がかたくななので、譲歩して離婚の許可を与えたのである。理想的な解決法は、赦しと和解によって結婚を継続することである。(3)離婚理由として認められるのは、「不貞(姦淫)」しかない。イエスの立場は、シャマイ派と同じである。(4)妻の姦淫だけを問題にするのではなく、夫の姦淫の罪も問題にすべきである。ユダヤの律法では、夫だけが妻を離別することができた。その逆は、ない。今でもイスラエルでは、女性から離婚を申し出ることは許されていない。
弟子たちは、そんなことなら結婚しないほうがましだとつぶやいているが、当時は、いかに男性優位であったかが分かる。イエスは、独身でいられるのは、生まれつき性的能力を欠いた者か、人為的に去勢された者か、独身の賜物が与えられた者だけだと語る。独身の賜物が与えられているなら、独身のまま神に仕えることを志そう。独身の賜物がないなら、結婚生活を通して神の栄光が現れるように願おう。独身でいることも結婚することも、ともに神からの召しである。他の人と比較する必要は全くない。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私に多くの賜物が与えられていることを感謝します。その賜物にふさわしい歩みをすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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