44 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
45 また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
46 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
ここでは、2 つのたとえ話を同時に取り上げる。(1)「宝」は、旧約聖書ではイスラエルを象徴している。出エジプト19:5 にはこうある。「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。…」(申14:2、詩135:4 など参照)。(2)「真珠」が何かについては、旧約聖書には明確な言及がない。しかし、この言葉は異邦人を指していると考えられる。宝と真珠が対になって、イスラエルと異邦人という対になった関係を象徴していると考えられるからである。さらに、真珠は海から採れるものであるが、聖書では「海」は異邦人世界を象徴する言葉である。その例として、ダニエル7:2 ~3 がある。「…私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。…」(黙17:1、15 なども参照)。(3)「畑を買う人」、「真珠を買う商人」とは、ともに主イエスを指している。
以上のことを総合すると、この2 つのたとえ話の意味は次のようになる。(1)直前のたとえ話では、教会にサタンの悪影響が及ぶことと、異端の教えが入り込むことが預言された。それにもかかわらず、主は救われる者が起こされると約束された。(2)イスラエルの中から救われるのは、「イスラエルの残れる者たち」と呼ばれる真の信仰者たちである。彼らは、「畑に隠された宝」である。(3)異邦人も信仰と恵みによって救いに入れられる。救いが異邦人にも及ぶというのが、教会時代の特徴である。彼らは、「良い真珠」である。(4)「畑を買う人」と「真珠を買う商人」は、おのおの宝と真珠を手に入れるために、すべてを犠牲にしている。これは、主イエスが私たちを救うためにそのいのちを投げ出してくださることの象徴である。事実、主イエスは、余すところなくその愛を私たちに注いでくださった。
神の目には、イエスをメシアとして信じるユダヤ人(メシアニックジュー)たちは「宝」であり、私たち異邦人信者は「真珠」である。御子イエスは、私たちを買い戻すために、尊い代価を十字架上で払ってくださった。この世で評価されなくても、神は私たちを愛し、私たちの命を守ってくださる。私たちの命は、神の目には高価で尊いものである。十字架を通して、自らの価値を見いだす者は幸いである。
きょうの祈り
天の父よ。私の命の価値を高く評価してくださり感謝します。私は、御子イエスの愛を感謝をもって受け取りました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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