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マタイの福音書13:31 ~ 32

31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、

32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

からし種のたとえ

天の御国のたとえ話

このたとえ話も「奥義としての王国」の特徴を教えるために語られたものである。目的は、教会時代の宣教のために弟子たちを整えることにあった。「奥義としての王国」は、ユダヤ人たちがイエスを拒否した時点から始まり、イエスの再臨まで続く。この王国時代の中心は「教会時代」である。従って、マタイ13 章にある一連のたとえ話は、教会時代に何が起こるかを予告したものだといえる。
この時点での弟子たちの理解力は、いまだに不十分なものであった。彼らは、メシアであるイエスが十字架にかかって死ぬことも、3 日目に復活することも予期していない。彼らが一連のたとえ話の意味を理解するようになるのは、ペンテコステの日に聖霊が下って以降、つまり教会時代が始まって以降のことである。今の時代に生きる私たちは、当時の弟子たちよりもはるかに恵まれた条件の中にいるので、一連のたとえ話の意味をより深く理解することができる。

からし種のたとえ

からし種のたとえは、どのような真理を教えているのか。(1)からし種は、小さいものの代名詞である。「どんな種よりも小さい」というのは、非常に小さいという意味である。(2)からし種は、蒔かれると驚くほど生長し、中には3 メートルを超えるものも出てくる。つまり、「奥義としての王国」の始まりはきわめて小さなものであるが、それが驚くほどの成長をげるということである。現在私たちは、このたとえ話が成就しつつあるのを目撃している。(3)では、「枝に巣を作る空の鳥」は何を表しているのか。文脈を重視するというのが、聖書解釈の大原則である。「鳥」という言葉は、すでに「種蒔きのたとえ」の中に出てきた(4 節)。この鳥は、「悪い者」(サタン)を指していた(19 節)。「種蒔きのたとえ」の直後に出てくる「からし種のたとえ」でも、同じ解釈を施すべきである。
以上のことをまとめてみよう。「奥義としての王国」の時代には、キリスト教界(教会ではなく教界)が世界的な広がりを見せる。しかし、サタンや悪霊は依然いぜんとして活発に活動を続ける。キリスト教の体裁ていさいを取りながらキリストの神性を否定している異端いたん(エホバの証人、モルモン教、統一協会など)や種々のカルト集団が、これに当たる。主イエスの再臨までは、サタンと悪霊が暗躍あんやくする時代が続くことを知っておこう。闇の力の策略を見抜くためには、みことばの理解が不可欠である。日々のデボーションを通して、霊的洞察力どうさつりょくを養おうではないか。

きょうの祈り

天の父よ。常に霊の目を覚まし、敵の策略を見抜くことができますように、私をお助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ゼカリヤ13~14、テモテへの手紙 第二2