14 するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
15 イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。
16 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。
17 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」
ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、イエスの弟子たちが断食しないことに対して抗議を始めた。この断食論争の歴史的背景を確認しておこう。(1)バビロン捕囚という悲劇は、ユダヤ人たちに大きな反省を迫った。捕囚から帰還すると、エズラを初めとするユダヤ人の指導者たちは、613 あるといわれるモーセの律法を熱心に解説した。これ自体は悪いことではない。(2)ところが、エズラの次の世代になると、霊的指導者たちは、本来の律法に種々の命令を付け加え、いわば律法の垣根のようなものを作り上げた。(3)そしてイエスの時代になると、4 百年にわたって築かれてきたこれらの言い伝えや伝統が、「口伝律法」としてモーセの律法と同じ権威を持つまでになっていた。(4)パリサイ人たちは、この口伝律法に基づいて、週に2 回(月曜と木曜)断食を行っていた。彼らは、「イエスがメシアであるなら、口伝律法を破るはずがない」と考えたのである。
イエスは、3 つの回答を与えた。(1)今は、喜びの時だから、断食する必要はない。花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることはできない。しかし、やがて花婿が殺される時が来る。その日には彼らは断食するだろう。この答えには、預言的な要素が含まれている。(2)だれも、新しい布切れで古い着物の継ぎをするような愚かなことはしない。「新しい着物」とは、イエスが宣べ伝えた神の国の実質であり、「古い着物」とは、当時のユダヤ教、つまり、パリサイ的ユダヤ教のことである。両者は全く異質なものなので、組み合わせることはできない。(3)新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしない。当時は、やぎの皮を皮袋として用いていた。新しいぶどう酒は、新しい皮袋にというのが、当時の常識である。そうでないと、醗酵途上の新しいぶどう酒は、古い皮袋を張り裂いてしまう。(4)「新しいぶどう酒」とは、神の国の実質、つまり、聖霊によって与えられるいのちのことである。「古い皮袋」とは、言い伝えや伝統を重視する当時のパリサイ的ユダヤ教のことである。
イエスは、口伝律法を重視するパリサイ的ユダヤ教を批判された。私たちの信仰生活の中にも、形式主義や律法主義的な要素がある。聖書的な信仰生活とは、「新しいぶどう酒」のようなエネルギーに満ちたものである。躍動するいのちは、私たちの内に住んでおられる聖霊に委ねることによって与えられる。
きょうの祈り
天の父なる神さま。律法主義的な信仰理解から、私を解放してください。聖霊のいのちによって生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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