14 それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。
15 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
16 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。
17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
マタイ8 章では、イエスは、① 汚れをきよめる権威を持った方、② 異邦人(百人隊長)でさえもその権威を認めた方、として紹介されている。きょうの箇所では、③ イエスは病を癒す権威を持った方として描かれている。
イエスは、ペテロの姑が熱病で床についているのをご覧になり、その病を癒された。(1)イエスはペテロの姑の手に触れている。この行為は、弱き者(女性で病者)に対するイエスの憐れみの心を表現している。(2)この癒やしは、超自然的なものであった。通常は、病が癒えても、しばらくは養生が必要であるが、ペテロの姑はただちに起きて、イエスをもてなしている。これは、瞬間的な癒しが起こったことを証明している。この癒しは、超自然的なものである。(3)夕方になると、悪霊につかれた者たちや病人たちが、大勢イエスのもとにやって来た。この日は安息日であったために、日没までは外出できなかった。人々は、安息日が明けるとすぐにイエスのもとにやって来たのである。イエスは、悪霊を追い出し、病気の人々をみな癒された。イエスの権威と憐れみの心に注目しよう。
マタイは、ユダヤ人読者を想定してこの福音書を書いている。ここでは、イザヤ書の預言を引用して、癒しの意味を解説している。(1)イザヤ53:4 の預言は、イエスにあって成就した。つまり、イエスがメシアであることが証明されたということである。(2)イエスがここで行っておられる病の癒しは、将来与えられることになる「より素晴らしい癒し」の先駆けとなっている。「より素晴らしい癒し」とは、魂の癒しのことである。(3)ペテロは、イエスの死についてこう書いている。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(1 ペテ2:24)。ペテロが書いている「いやされたのです」とは、罪からの解放のことである。イエスの十字架によって罪から解放された私たちは、天の御国が完成する時、病からも死からも自由になった栄光のからだを与えられるようになる(1 コリ15:42 ~49、黙21:4)。
イエスの十字架によって赦されない罪はない。今、自分の罪が赦されていることを感謝し、すべての重荷をイエスに委ねようではないか。イエスは、私たちの戦いや悩みを理解し、ともに重荷を負ってくださる。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。主イエスは、私にとってすべてのすべてです。今、すべての重荷を主におゆだねします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エゼキエル書34~35、エペソ人への手紙4
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