7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
祈りに関する復習。(1)祈りは、人に見せるためのものではない。パリサイ人たちは、そのような祈りをしていた。(2)同じことばを何度もくり返すような祈りではいけない。これは、異邦人がする祈りである。(3)無意味な祈りではいけない。(4)「主の祈り」は、正しい祈りのパターンとして教えられたものである。
この箇所では、継続した祈りの重要性が教えられている。(1)「求めなさい」、「捜しなさい」、「たたきなさい」などの命令は、「求め続けなさい」、「捜し続けなさい」、「たたき続けなさい」という意味である。つまり、継続した祈りの命令である。(2)継続した祈りをささげるべき根拠は、私たちの求めに応えてくださる天の父の愛にある。私たちの熱心さが、ものごとを起こすのではない。天の父の変わることのない愛が、祈りの答えを生み出すのである。(3)罪深い人間の父親でも、パンや魚を求める子どもに、偽物を与えるようなことはしない。ましてや、天の父が祈り求める者に良いものをくださらないはずがないのである。
ここではまだ、イエスの御名によって父に求めなさいという教えは出てこない(ヨハ16:24 参照)。山上の説教が語られた時代は、「律法の時代」であって、まだ「恵みの時代」に入っていないからである。「恵みの時代」は、イエスの死とともにやって来た。イエスは、ヨハネ16 章で、イエスを信じる者たちが、イエスの御名によって祈る時代が来ることを預言された。「恵みの時代」に生きている私たちには、主の御名によって父なる神に祈るという特権が与えられている。この特権を認識しないことは、大きな損失であるばかりか、重大な罪である。主の御名によって、大胆に父なる神に求めようではないか。
この箇所の結びとして、黄金律が語られる。「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」。黄金律は、すでに救われている者に与えられた行動規範である。これは、自分が天の父から良いものを受けたように、他の人にも良いものを与えよ、という命令である。この命令こそ、「律法と預言者」(旧約聖書)の全体を要約したものである。この黄金律を、日々の生活の中で実践してみよう。驚くほどの祝福が注がれることであろう。
継続した祈りによって天の父から良きものを受け、それを隣人と分かち合う生き方こそ、主イエスの弟子の道である。
きょうの祈り
天の父なる神さま。日々、私に良きものを与えてくださり、感謝します。あなたから受けた祝福を、隣人と分かち合うことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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