13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
きょうの箇所は、「義とされた者(信者)」が、この世にあってどのような役割を果たすべきかを教えている。イエスはその人たちを「地の塩」と呼んでいるが、古代世界で塩がどのような役割を果たしていたかを考えると、その意味が明らかになる。
(1)塩は防腐剤として用いられていた。それと同じように、信者はこの世を腐敗から守るという役割を果たす。旧約時代、預言者たちは神の裁きがイスラエルに下ることを預言したが、イスラエルが完全に滅びることはなかった。その理由は、どの時代にも真の信仰者がいたからである。この人々を、「イスラエルの残れる者」と言う。イザヤはこう書いている。「もしも、万軍の主が、少しの生き残りの者を私たちに残されなかったら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていた」(イザ1:9)。今日の「イスラエルの残れる者」とは、メシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)たちである。イスラエルが今も滅びない理由は、メシアニック・ジューたちが存在しているからである。
(2)また塩は、調味料としても用いられた。塩気のない魚や野菜は食べられたものではないが、塩味が付くと、そこに深い味わいが生まれる。それと同じように、この世の生活では失望させられることの多い私たちであるが、信者同士の交わりを通して、安らぎと生きる喜びを味わうことができる。
イエスは信者を「世界の光」とも呼ばれた。暗い世にあって、信者には神の光を灯す役割が与えられている。「山の上にある町は隠れる事ができません」とある。夕暮れにガリラヤ湖畔に立つと、なるほどと思える景色が目の前に広がる。町が山の上にあり、光が輝いているのが見える(防衛上の理由で、町は山の上に建てられた)。イエスを信じる者たちは、まさに山の上にある町のようである。さらにイエスは、「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(16 節)と言われた。クリスチャンを世の光と見る見方は、パウロ書簡にも見られるものである(エペ5:8、ピリ2:15 ~16)。
では、どうすれば光を輝かせることができるのか。①自分自身が光なのではないことを覚えよう。②自分の内に、キリストが生きておられことを確認しよう。③自分の言動を通して、内におられるキリストがそのお姿を現してくださるように祈ろう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私が「地の塩」、「世の光」としての役割を果たすことができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書38~39、コリント人への手紙 第二7
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