3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」
11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
前回は、イエスがイスラエルの民の代表として誘惑にあわれたことを学んだ。今回は、イエスが私たち罪人の代表としても誘惑にあわれたことを学ぶ。ヘブル4:15 は、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」と教えている。「すべての点で」とあるが、それはどういう意味なのか。そのヒントが、1 ヨハネ2:16 にある。「なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです」(新共同訳)。
私たちは、3 つの点(分野)で誘惑にあう。① 肉の欲、② 目の欲、③ 生活のおごり、がそれである。主イエスもまた、この3 つの点(分野)で誘惑にあわれた。
(1)第一の誘惑:「この石がパンになるように、命じなさい」。これは、「肉の欲」に対する誘惑である。もしイエスが、自分の空腹を満たすために石をパンに変えたとするなら、それは自分の力を悪用したことであり、罪を犯したことになる。
(2)第二の誘惑:悪魔は、イエスを神殿の頂に立たせた。これは、エルサレムにある神殿の南東の頂で、地表から最も高くそびえていた場所である。悪魔は、神への信頼を表明する詩篇91:11 ~12 を引用し(悪魔には知恵がある)、そこから飛び降りるようにイエスを誘惑した。これは、民衆の耳目を集めるために奇跡を行うことであり、「目の欲」に対する誘惑である。
(3)第三の誘惑:悪魔は、地上の王国の繁栄を見せ、「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」とイエスを誘惑した。これは、「生活のおごり」に対する誘惑である。今でも、富豪になるために悪魔に魂を売り渡したような生活をする人はたくさんいる。
これら3 つの点で誘惑にあわれたイエスは、私たちの弱さを十分に理解してくださるお方である。それがヘブル4:15 の主張である。主イエスは私たちの大祭司であり、私たちのために今も執りなしの祈りを捧げていてくださる。いま、その主イエスに、心にある重荷を打ち明け、平安をいただこうではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私の弱さを理解してくださる大祭司を与えてくださり、感謝します。今、心の重荷を御手におゆだねします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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