13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。
14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」
15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。
16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
罪のないイエスが、なぜバプテスマを受けねばならなかったのか。ヨハネ自身がこのことに戸惑い覚え、躊躇した。しかしイエスは、バプテスマを受けることを強く願われた。バプテスマの本来の意味は、「一体化」である。それを念頭に置き、イエスのバプテスマの理由を考えてみよう。(1)すべての正しいことを実行するため。ユダヤ的解釈では、「正しいこと」とはモーセの律法に適っているということである。イエスは、モーセの律法の要求を満たすために来られた。(2)ヨハネのメッセージと一体化するため。イエスはヨハネが語る神の国のメッセージに同意し、それが神からのものであることを認めた。(3)ご自身がメシアであることを公に示すため。バプテスマを受けることによって、イエスの公生涯が始まった。(4)罪人である私たちと一体となるため。イエスは罪人のひとりのようになって、バプテスマをお受けになった。この真理は、2 コリント5:21 で次のように解説されている。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(イザ53:12 参照)。
イエスが水から上がると、イエスのメシア性を証明する出来事がいくつか起こった。(1)天が開け、聖霊が鳩のようにその上に下った。聖霊が鳩の姿を取ったのは、ユダヤ人たちがそれを聖霊と認識できるようにするためである。聖霊を鳩と結びつける考え方の起源は、創世記1:2 にある。そこでは、母鳥が卵を抱くように、神の霊が地表を覆っている。後代のラビ文書では、その鳥は鳩であると解説されるようになった。(2)「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という父なる神の声が、天から聞こえてきた。イエスの公生涯で、天からの声が3 度聞こえてくるが、これがその最初のものである。ユダヤ人たちはこの声を「バット・コル」と呼ぶ。
天地を創造された三位一体の神が、アダムの堕落によって破壊された天地を再創造するための最終段階の働きを開始された。私たちクリスチャンは、その再創造の業に参加するように招かれている。真の信仰には行動が伴う。クリスチャンになっただけで満足するのではなく、大いなる神の計画に参加しようではないか。生きがいのある人生とは、自分の生涯を神に捧げて歩む人生である。神が私たちを通して働いてくださることほど、嬉しいことはない。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私に与えられた特権と使命を覚え、御名をたたえます。今私に、宇宙大の幻と希望を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書18~19、コリント人への手紙 第一15
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