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マタイの福音書3:7 ~ 10

7 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

9 『 われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

10 おのもすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

メシア運動の吟味

サンヘドリンによる調査

当時のサンヘドリン(最高議会)は、メシア運動とおぼしきものが広がり始めると、代表団を派遣はけんして調査することにしていた。この調査は3 つの段階をんで行われた。 観察する段階。この段階では、沈黙して観察するだけである。代表団はエルサレムに戻り、観察した結果をサンヘドリンに報告する。もし、その運動が取るに足りないものであるなら、そこで調査は終了する。そうでない場合は、次の段階に進む。 尋問じんもんの段階。当事者にあらゆる角度から質問をびせ、内容を吟味ぎんみする。 裁定さいていの段階。尋問の結果に基づき、そのメシア運動の正当性を判断する。
さて、パリサイ人やサドカイ人が大ぜい来たとあるが、これは、の観察の段階が始まったことを意味している。新改訳では、「しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき」(7 節)とあるが、原文を直訳すると「彼(ヨハネ)のバプテスマに来た」となる。当時のサンヘドリンの習慣を考えると、パリサイ人やサドカイ人はバプテスマを受けるためではなく、ヨハネが始めたメシア運動を観察するために来たと解釈した方が、それに続くヨハネのメッセージをより深く理解できるのではないだろうか。

ヨハネの応答

ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人を見て、「まむしのすえたち」と応じた。(1)「まむし」は、外側は美しく見えても内には毒を秘めている。パリサイ人の偽善ぎぜんと、サドカイ人の肉的信仰は、内に秘められた毒である。(2)「自分たちの先祖は、アブラハムだというような考えでいてはならない」(9 節a)。当時のパリサイ派の神学では、アブラハムの子孫であるなら神の国に入ることができると教えられていた。つまり、パリサイ人たちは「自分たちには悔い改めの必要はない」と考えていたのである。(3)しかし、「神はこの石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる」(9 節b)。これは、異邦人の救いを預言したものである。(4)「斧もすでに木の根元に置かれている」とは、迫り来る神の裁きを預言したものである。その預言通りに、エルサレムは紀元70 年に滅びることになる。
今の時代は、「罪」、「悔い改め」、「迫り来る神の裁き」といったテーマは人々の不評を買う。しかし、神のしもべは語るべきことを語らなければならない。私たちに必要なのは、バプテスマのヨハネの率直さと信仰である。人を恐れることから解放されるように祈ろうではないか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。率直に、愛を込めて、迫り来る神の裁きについて語ることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エレミヤ書14~15、箴言31