8 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
9 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
10 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない」。(1)これが第2 戒である。この命令は、芸術活動を禁止したものではない。幕屋建設を思い出せば、芸術活動が罪でないことは、すぐに分かる。(2)この命令は、【主】を象徴するものとして偶像を作ることを禁止したものである。異教の民は、偶像神を礼拝していた。もし【主】を象徴するものとして偶像を作るなら、異教の偶像礼拝の影響をいつの間にか受けることになる。その結果、【主】への礼拝が汚されることになる。(3)さらに、目に見えない神を自然界にある物に置き換えることは、神の主権、栄光に制限を加えることになる。神は、何ものにも制約されることのないお方である。
「あなたの神、【主】であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」。(1)「ねたみの神」とは、ご自分の栄光を他のいかなるものとも共有しないという意味である。それゆえ、偶像を造り、それを拝むことは、重大な罪である。(2)「わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」とは、子孫が先祖の罪の呪いを負うという意味ではない。各人は、自らの罪の責任を負うのである(エゼ18:20 参照)。しかし、父が偶像礼拝者なら、その環境で育った子が悪影響を受けることはある。「わたしを憎む者」とは、父の影響を受けて神を憎むようになった者たちのことである。(3)申命記の文脈を考慮に入れると、第2 戒の内容は、イスラエルの第2世代の者たちにはより切実な命令となっている。彼らは、偶像礼拝の危険性を第3 世代の者たちにしっかりと教えるという使命を自覚したはずである。(4)第2戒は第1 戒の繰り返しではない。偶像を造らなくても、神秘的な存在としての神々を礼拝する者が出ることが予想される。つまり、第2 戒に違反しないで(偶像を造らないで)、第1 戒に違反する(ほかの神を礼拝する)ことが可能だということである。
同胞たちが、偶像礼拝の愚かさに目が開かれるように、祈ろうではないか。また、私たちの心の中に偶像を宿していないか、吟味しようではないか。
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