21 イスラエルはヨセフに言った。「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。
22 私は、あなたの兄弟よりも、むしろあなたに、私が剣と弓とをもってエモリ人の手から取ったあのシェケムを与えよう。」
「私は今、死のうとしている」。ヤコブは、平安の内に死を迎えようとしている。(1)人は、いつかは死ぬ。どんなに家族を愛していても、別れの時は必ず来る。しかし神は、いつも共にいてくださる。ヤコブは、家族を神の御手に委ねていたので、平安を得ることができた。(2)ヤコブは、自分の子孫がいつかカナンの地に帰還することを確信していた。アブラハム契約によって、カナンの地はイスラエルの民に約束されていたからである。「しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる」。この言葉は、出エジプトの預言でもある。神の約束は、時が来たら必ず成就する。
次にヤコブは、シェケムの町をヨセフに与えると約束する。「私が剣と弓をもってエモリ人の手から取った」という修飾句が、シェケムの前に付いている。「剣と弓」とは、「シメオンとレビ」のことである。創世記34 章の「ディナ事件」を思い出そう。ディナがヒビ人ハモルの子シェケムに辱められた時、シメオンとレビは妹のために暴力的な報復行為に出た。父ヤコブは、深い恐怖と悲しみを体験した。かつては兄のエサウを欺き、闘争心を表に出して生きていたヤコブも、数々の試練を通して平和の人に変えられていたのである。
彼は、シメオンとレビの暴力を嫌い、シェケムを平和の人であるヨセフに与えた。(1)この約束は、カナン入国時に成就し、シェケムはヨセフ族の相続地となった。「イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に、すなわちヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子らから買い取った野の一画に、葬った。そのとき、そこはヨセフ族の相続地となっていた」(ヨシ24:32)。(2)新約聖書との関連では、ヨハネ4:5 ~6 にこうある。「それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた」。サマリヤの町は、かつてのヨセフ族の領地にあった。(3)平和(柔和)の人ヨセフは、地を受け継いだ(マタ5:5 参照)。
私たちも、ヨセフの性質を内に宿せるように励もうではないか。祝福は勝ち取るものではなく、神から与えられるものである。暴力や暴言を退け、すべての人との平和を求めようではないか。そのような人の上に、神の祝福は下る。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。どうか私をヨセフのような平和の人にしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
イザヤ書24~25、箴言27
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