6 それで私たちは、テトスがすでにこの恵みのわざをあなたがたの間で始めていたのですから、それを完了させるよう彼に勧めたのです。
7 あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。
8 こうは言っても、私は命令するのではありません。ただ、他の人々の熱心さをもって、あなたがた自身の愛の真実を確かめたいのです。
9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
パウロは、コリントの信者たちに、喜んで献金をするように勧めています。その際、彼は三つのことに訴えかけています。(1)彼らはマケドニヤのクリスチャンのように、貧困や迫害で苦しんでいるわけではありません。つまり、もし献金する気があるなら、より自由に、大胆にできる立場にあるということです。(2)コリントの信者たちは、すべての面で富んでいました。信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、また、愛にも富んでいました。パウロによれば、これらの点で富んでいるというのは、神の恵みがあったからです。それと同じように、喜んで献金を捧げることができるというのもまた、神の恵みです。それでパウロは、「この恵みのわざ(献金という行為)にも富むようになってください」と勧めているのです。
豊かな人が貧しい人よりも、より多く捧げるとは限りません。貧しい中からでも、大胆に捧げる人もいます。そのような人を見ていると、献金を捧げるのも、「恵みによるのだ」ということを教えられます。「この恵みのわざ」にも富むように、祈ろうではありませんか。
第3のこととして、パウロは、主イエス・キリストの姿を思い起こさせています。(1)主は富んでおられました。つまり、天上ですべての栄光をお持ちになっていたということです。(2)しかし、その栄光の主が私たちのために貧しくなられました。つまり、人間となって地上を歩まれたということです。(3)それは私たちが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。つまり、キリストの犠牲によって、私たちの罪が赦され、神の子とされるということです。
パウロは、献金の原点は、キリストの中に見出されると教えているのです。キリストは、富んでいた状態から自分を捧げ、貧しくなられました。マケドニヤの信者たちは、貧しい状態から自分を捧げました。すべてのクリスチャンは、上記の2例のどこか中間にいるはずです。今、私たちに示されたキリストの犠牲的な愛を思い起こし、その愛に応答する生き方を志しましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。今再び、キリストの愛を思い起こし、私の心は感謝と喜びで満たされました。きょうも、その愛に応答して歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
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