16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
< 5 章 >
1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。
5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。
6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。
9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
苦難と迫害の中で弱さを覚えながらも、パウロは勇気を失うことがありません。それは、パウロが変わることのない希望を持っていたからです。次のパウロの言葉は、どれほど多くの聖徒たちに励ましと、勇気とを与えてきたことでしょうか。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」ここでパウロは、「外なる人(肉体)」と「内なる人(魂)」とを比較し、肉体は老いても、魂はますます完成へと近づいていることを証ししています。一般の人たちの言葉を使えば、「人生の目標とは人格の完成である」ということになります。クリスチャンの言葉では、「人生の目標とは救いの完成である」ということです。
上のような人生観に基づいて、パウロは珠玉の名言を記しています。(1)今の時の患難は軽いものである。しかもそれは、計り知れないほど重い永遠の栄光をもたらす。(2)見えるものは一時的である。見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めるべきである。(3)肉体は地上の幕屋である。それはやがて壊れるが、その後に天にある永遠の住まい(復活の体)が与えられる。(4)地上での苦難は、この復活の体を得るための産みの苦しみである。天からの住まい(復活の体)を与えられる時、死は命に飲み込まれてしまう。(5)聖霊は、いわば手付として私たちに与えられている。聖霊は、これらのことが間違いなく信者の上に起こることの保証となってくださる。
このような確信を持っているパウロにとっては、死はもはや恐ろしいものではなくなりました。彼にとっての最大の関心事は、いかにして「主に喜ばれること」を行なうことができるか、です。パウロは、主の前での清算の時を楽しみにしながら、生きていたのです。
私たちもまた、パウロの次の言葉に心を留め、きょう一日「主に喜ばれる」歩みを志しましょう。
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」
きょうの祈り
全知全能の神よ。今こそ、見えないものに目を注ぎ、信仰によって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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