7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
前回の箇所でパウロは、使徒職が栄光に満ちた働きであることを説明しました。きょうの箇所では、パウロの実際の姿がいかに弱いものであるかが語られています。
(1)主の僕たちは、いわば「土の器」です。この表現の背景にあるのは、人が地のちりから造られたという創造の記事です。金銀ガラスなどの高価な器に比べると、土の器というものは実に壊れ易いものです。実際に、パウロの敵対者たちは、パウロは貧弱で使徒としてふさわしくないと語っていました(10:10参照)。(2)しかし、その土の器の中には、宝(福音)が入れられています。その宝が器を通して輝き出ているのです。(3)壊れやすい土の器が輝いているというのは不思議なことですが、その事実にこそ、人間の力を超えた神の力が働いているという証拠があります。
8節以降のパウロ自身の体験を読むと、大変励まされます。(1)彼は土の器として、苦難に遭っています。しかし、窮することも、途方にくれることもないと言います。(2)彼は迫害に遭っていますが、見捨てられることはないと語っています。(3)倒されることもあるが、滅びることはないと語っています。(4)イエスの死(苦難)を身に帯びていますが、それは、イエスの命を現わす機会となると言っています。(5)彼がこのように労している理由は、コリントのクリスチャンたちを祝福し、彼らにキリストの命を提供するためです。(6)彼は、いかに苦難な道であっても、福音を信じ、復活の希望を持つがゆえに、語らざるを得ないと言っています。「私は信じた。それゆえに語った」とは、詩篇11 6:10の引用です。この詩篇の作者は、苦難を身に招いても、信じるゆえに語らざるを得ないと告白しているのですが、パウロもまたそれと同じ心境だったのです。
パウロの究極的な願いが何であるかは、15節に書かれています。宣教の努力によって多くの人々が救われ、神への感謝が満ち溢れ、その結果、神の栄光が現われるようになること。これが、パウロの人生のゴールだったのです。きょう一日、隣人への祝福と神の栄光を心に留めながら歩んでみましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。土の器である私の内から、キリストの栄光が輝き出ますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
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