1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
この章でパウロは、愛がなければいかなる賜物を持っていても空しいと語ります。(1)最初に異言と預言の賜物が上げられています。これは、コリントの教会でこの二つの賜物があまりにも強調され過ぎていたからだと思われます。パウロは、そのような行き過ぎを矯正しようとしたのでしょう。「どら」、「シンバル」は、神殿での礼拝で鳴らされていたものです(IIサムエル記6:5参照)。(2)次に、「奥義」と「知識」が上げられています。これは、神の啓示の奥深いところを理解している状態です。いかに深い理解があっても、愛がないなら、何の値打ちもありません。(3)次に、「信仰」が上げられています。これは、救いに至る信仰のことではなく、山をも動かすたぐいの信仰のことです(マタイ21:21参照)。(4)全財産を貧しい人に施したとしても、また、殉教の死を遂げるほどの献身を発揮したとしても、愛がないなら何の役にも立ちません。
これは、私たちの価値観を根底から揺さぶる革命的な教えです。愛があってはじめて、賜物が生かされます。今、日頃の自らの生活を振り返ってみましょう。
ここで使われている「愛」とは、ギリシヤ語で「アガペ」と呼ぶ愛です。それは、友情関係を表す「フィロス」の愛よりもより深い愛です。また、自己中心的な「エロス」の愛とは質の異なる愛です。(1)アガペの愛は、父なる神と御子キリストがお互いを愛する愛です(ヨハネ15:10、17:26参照)。(2)アガペの愛は、神が私たち一人一人を愛してくださる愛です(Iヨハネ4:9)。(3)アガペの愛は、クリスチャンがお互いを愛する愛です(ヨハネ13:34~35)。
神は愛です。そして、クリスチャンはその神に属し、神の子とされています。それゆえ、クリスチャンは神を、またお互いを、アガペの愛で愛するのです。クリスチャンの生活のゴールとは、愛の人に完成されるということです。このゴールから目がそれていなかったかどうか、黙想してみましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。賜物を競うのではなく、愛をゴールとして生活をさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ゼカリヤ1~2、テモテへの手紙 第一4
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