20 その日、馬の鈴の上には、「主への聖なるもの」と刻まれ、【主】の宮の中のなべは、祭壇の前の鉢のようになる。
21 エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の【主】への聖なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るようになる。その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる。
きょうの箇所で、ゼカリヤの預言は終わります。締めくくりにふさわしく、メシア的王国の特徴が「聖さ」であることが示されます。「その日、馬の鈴の上には、『主への聖なるもの』と刻まれ、【主】の宮の中のなべは、祭壇の前の鉢のようになる」(20節)。(1)「その日」とは、メシア的王国の時代のことです。(2)「主への聖なるもの」という言葉は、大祭司のターバンに付けられた金の銘板に刻まれたものです(出28:36~37参照)。(3)その聖別のしるしの言葉が、「馬の鈴の上に」付けられます。つまり、このような日常的なものまでが、聖別されるということです。(4)モーセの律法の規定では、「【主】の宮の中のなべ」は、いけにえを煮るための器であり、「祭壇の前の鉢」は、いけにえの血を入れるための容器です。両者は、その聖さが同一ではありません。しかし、メシア的王国では、両者は同質の聖さを有するものと考えられるようになります。それほどに、聖さが普遍的な特徴になるのです。
「エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の【主】への聖なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るようになる。その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる」(21節)。(1)神殿の中のなべや鉢だけではなく、エルサレムとユダの家々にあるすべてのなべが、「万軍の【主】への聖なるもの」となります。従って、日常品として使用するなべを【主】への礼拝のために用いても、なんの問題も起こりません。(2)「その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる」とあります。「商人」と訳された言葉は、「カナン人」とも訳せます。つまり、道徳的、霊的に汚れている人が神殿にいなくなるので、神殿が再び汚されることはないという意味です。
聖書は、字義どおりに解釈せねばなりません。比ゆ的(象徴的)解釈は、本来の意味を曲げてしまう危険性を孕んでいます。メシア的王国は、ゼカリヤが預言したとおりに、地上に成就します。これが字義どおりの解釈から導き出される結論です。終末的出来事を時系列に沿って並べてみると、携挙→大患難時代→ハルマゲドンの戦い→イスラエルの回心→メシアの再臨→千年王国の成就、となります。私たちは、この大いなるシナリオの実現に向かって進んでいます。各人が、そのシナリオの中のひとつの役を任されています。そのことを神に感謝しようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたの大いなるご計画の中で、私にも果たすべき役割を与えてくださり、感謝します。きょうもその役割を果たすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エレミヤ書34~35、コリント人への手紙 第二5
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