10 ダリヨスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような【主】のことばがあった。
11 「万軍の【主】はこう仰せられる。次の律法について、祭司たちに尋ねて言え。
12 もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは答えて「否」と言った。
13 そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれにでも触れたなら、それは汚れるか。」祭司たちは答えて「汚れる」と言った。
14 ハガイはそれに応じて言った。「わたしにとっては、この民はそのようなものだ。この国もそのようである。─【主】の御告げ─彼らの手で作ったすべての物もそのようだ。彼らがそこにささげる物、それは汚れている。
きょうの箇所から、第3のメッセージが始まります。「ダリヨスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような【主】のことばがあった」(10節)。(1)このメッセージは、第2のメッセージから約2カ月後、神殿再建に着手してから3カ月後に語られたものです(1:15参照)。(2)この年の収穫が終わりましたが、結果は不作でした。民の疑問は、神殿再建に着手したのに、なぜ不作に終わったのかということです。(3)そこで【主】は、ハガイを通して、なぜ収穫が少ないのかを説明されます。
(1)「『万軍の【主】はこう仰せられる。次の律法について、祭司たちに尋ねて言え。もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。』祭司たちは答えて『否』と言った」(11~ 12節)。これはモーセの律法に関する質問です。祭司たちは民にモーセの律法を教える責務がありました。質問の内容は、聖なる肉を運んでいる着物のすそが他の食物に触れたとしたら、その聖は転移するかというものです。祭司たちは、「否」と応えています。これで正解です。なぜなら、聖は転移しないからです。(2)「そこでハガイは言った。『もし死体によって汚れた人が、これらのどれにでも触れたなら、それは汚れるか。』祭司たちは答えて『汚れる』と言った」(13節)。今度は、汚れは転移するかという質問がなされました。答えは「汚れる」です。これもまた正解です。
2つの質問から適用が導き出されます。「わたしにとっては、この民はそのようなものだ。この国もそのようである。──【主】の御告げ──彼らの手で作ったすべての物もそのようだ。彼らがそこにささげる物、それは汚れている」(14節)。「民」はヘブル語で「アム」です。「国」はヘブル語で「ゴイ」であり、普通は異邦人の国を指します。つまり、イスラエルは神の民でありながら、異邦人のように振る舞っているということです。出エジプト19:6には「あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」とありましたが、イスラエルの民は汚れた民となりました。それゆえ、その汚れは神にささげる物に転移しているのです。
神が私たちに求めておられるのは、形式ではなく、心からの信頼です。神に受け入れられるささげ物(礼拝・祈り)は、聖なる心の状態でささげるものだけです。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。どうか私の心を清くし、御前に受け入れられるささげ物をささげることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
列王記第二17~18、使徒の働き27
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