7 商人は手に欺きのはかりを持ち、しいたげることを好む。
8 エフライムは言った。「しかし、私は富む者となった。私は自分のために財産を得た。私のすべての勤労の実は、罪となるような不義を私にもたらさない。」
9 しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、主である。わたしは例祭の日のように、再びあなたを天幕に住ませよう。
10 わたしは預言者たちに語り、多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示そう。
11 まことに、ギルアデは不法そのもの、ただ、むなしい者にすぎなかった。彼らはギルガルで牛にいけにえをささげた。彼らの祭壇も、畑のうねの石くれの山のようになる。
前回の箇所で、神はエフライムに、先祖ヤコブのような生活を追及するように命じておられましたが、神の期待に反して、エフライムはカナン人のような生活をするようになりました。7 節には、「商人は手に欺きのはかりを持ち、しいたげることを好む」とありますが、「商人」という語は「カナン人」とも訳せます(この文脈では、カナン人と訳すべきでしょう)。(1)先祖ヤコブは、カナンの地を出てアラムにいる親戚の家に向かいましたが、その理由は2つありました。1 つは兄のエサウからのがれるため、もう1つは、カナン人との結婚を避けるためです(エサウはすでに、カナン人の娘たちと結婚していました)。そのように、ヤコブは神の祝福を追及しました。(2)それに対して、ヤコブの子孫であるエフライムは、富を誇りとする生活をしていました。エフライム(北王国イスラエル)が最も繁栄したのは、ヤロブアム2世の時代です。エフライムは、自分たちが所有するようになった富を、神の祝福のしるしと理解しました。先祖ヤコブは神を誇りとしましたが、エフライムは富を誇りとしました。ヤコブは自らの罪を認めましたが、エフライムは自分の内になんの不義も見いだせないと豪語していました。なんという対比でしょうか。
エフライムの不義に対して神の裁きが下ります。(1)神は、「しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、主である。わたしは例祭の日のように、再びあなたを天幕に住ませよう」と語られます。「例祭の日」とは、仮庵の祭りのことです。その祭りの期間、イスラエル人たちは「仮庵」に住みました。これは、荒野での放浪生活を記念するためです。神の裁きが下ると、エフライムは仮庵の祭りの時のような生活に追い込まれます。「天幕に住ませよう」とは、仮の宿に住ませようという意味です。仮庵の祭りと違うのは、短期間の仮住まいではなく、その悲惨な状況が長期に続くことです。(2)この裁きは、すでに主が預言者たちを通して語ってきたものです。しかし、エフライムは主のことばに関して無知な状態にあります。ホセア書を貫くテーマの一つが、「主のことばについての無知」ということです。(3)ギルアデはヨルダン川の東の町、ギルガルはヨルダン川の西の町です。つまり、ヨルダン川の東でも西でも、偶像礼拝が行われていたということです。
あなたは何を誇りとしていますか。目に見えるものを誇りとしたエフライムの失敗から教訓を学びましょう。ヤコブのように、神を誇りとすることを学びましょう。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」(ガラテヤ6:14)。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものはありません。私はキリストとともに死に、キリストとともによみがえりました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジプト記25~26、詩篇11~12
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