25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。
26 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
27 大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。
28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。
29 なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ』と言う日が来るのですから。
30 そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ』と言い始めます。
31 彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」
十字架刑の宣告を受けた者は、まずむち打ちの刑に処され、それから十字架の横木を背負って刑場まで歩かされることになっていました。カルバリの丘まで続く約700メートルの道を、ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)と言います。イエスの体力は、極度に衰えていました。それを見たローマ兵は、そこに居合わせたひとりの男に、イエスの十字架を担がせました。その男の名は、クレネ人シモンと言いました。(1)シモンは、クレネ(北アフリカの海岸都市)出身のユダヤ人で、(2)アレキサンデルとルポスの父でした(マルコの福音書15:21)。(3)また、アンテオケ教会の指導者のひとり「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使徒の働き13:1)である可能性もあります。いずれにしても、彼は、初代教会の中では、有名な人物となりました。すべては、十字架を担がされたところから始まりました。それは、ローマによる強制労働でしたが、同時に、神の摂理であり、この上ない特権でもありました。もし今、イエスの十字架を担ぐ人を募集したとしたら、世界中から数え切れないほどの応募があるに違いありません。あなたは、自分に与えられた十字架を苦しいと思ったことがありますか。もしそうなら、それがどんなに特権であるか、黙想してみましょう。
多くの民衆が、悲しみながらイエスの後について行きました。ルカは特に、婦人たちの活動に関心を払っていますが、ここでも、「イエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れ」に言及しています。イエスはその婦人たちに、「エルサレムの娘たち。」と優しく呼びかけておられます。刑場に引かれ行く途上にありながら、イエスはなおも、自分のことよりも彼らのことを心配されたのです。それは、近づきつつあるエルサレムの滅亡を予感しておられたからです。「不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。」とあります。当時は、子のない女は不幸だと考えられていたのですが、滅亡の日には、その考え方が逆転するというのです。イエスが求められたのは、民の悔い改めです。あなたは、一時的な喜びで満足していませんか。あなたの生き方は、最後のさばきに耐え得るものとなっていますか。イエスの愛の呼びかけに応答しましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。最後の最後まで、民の運命をあわれんでくださったイエス・キリストの愛を感謝します。自分に与えられた十字架が、いかに特権であるかを教えられました。不平不満が多い私をお赦しください。喜んで、十字架を担ぐ者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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