21 しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。
22 人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。」
23 そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。
24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。
25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。
27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。
28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。
29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。
30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
21節以降でイエスは、ユダの裏切りを予告なさいます。ユダは巧妙に騙し続けていたのでしょう、裏切り者がユダであることに気づいていた弟子は、一人もいませんでした。ここでは、次の二点に着目しましょう。(1)イエスは、「人の子は、定められたとおりに去って行きます。」とお語りになりました。つまり、十字架の死は、神の計画どおりのものであることを認識しておられたのです。(2)それだからと言って、決してユダの罪が軽くなるわけではありません。イエスは、「わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。」と言い、また、「しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」とも言われました。あなたには、「これは、神のみこころです。」ということばを安易に使って、責任逃れをしたことはありませんか。神の主権や計画は、決して私たちを無責任にするものではありません。もし、信仰者として無責任になっている点があれば、それを悔い改めましょう。
弟子たちは、「この中でだれが一番偉いか。」ということに、強い関心を示したようです。弟子たちの心が、十字架を目前にしたイエスの心とは、遠くかけ離れていたことがよくわかります。そこでイエスは弟子たちに、重要な教訓をお語りになりました。(1)弟子たちはやがて、イエスとともに神の国を治める地位に就くようになります。「イスラエルの十二の部族をさばく」とは、神の国の統治権を指すことばです。(2)イエスの弟子であるなら、権力を求める生き方を捨てて、神の国の統治者としてふさわしい姿になることを熱心に求めなければなりません。(3)「一番年の若い者のようになること」、「給仕する者のようになること」こそ、偉大な人物になる道です。ヨハネの福音書によれば、イエスは弟子たちの足を洗って、真の偉大さの手本をお示しになりました。そして、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネの福音書13:15)とお語りになりました。あなたにとって、兄弟姉妹の足を洗うとは、具体的にどのような行為を指しますか。自分の生活に適用してみましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。神の国で評価される偉大さとは何かをお教えくださり、感謝します。今日学んだことを、実際の生活に適用することができますように、私に、知恵と力と勇気とをお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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