1 イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。
2 この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
「つまずき」とは、イエス・キリストから私たちを切り離そうとする力、誘惑のことです。「つまずき」について、二つのことを考えてみましょう。(1)人は、不思議なほど小さなことにつまずきます。道を歩くときも、大きなものにつまずくことはありませんが、小さなものにはつまずきます。そう考えると、つまずいた本人にも問題があることがわかります。あなたは、つまずきを覚えたことがありますか。もしそうなら、信仰の本質から目がそれていなかったかどうか、自己吟味をしてみましょう。(2)とは言っても、つまずきの原因を作った人の責任がなくなるわけではありません。イエスは、そのような人を厳しく糾弾して、こうお語りになりました。「この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。」(2節)。「小さい者たち」とは、信仰的に幼いクリスチャンたちのことです。あなたは、信仰の弱い兄弟姉妹たちのつまずきとなるような振る舞いを、平気でするタイプですか。今、神の前に静まり、人の徳を立てないような軽はずみな行動を、日常的に行なっていなかったかどうか、吟味してみましょう。
次に、「赦し」について考えてみましょう。(1)私たちは決して、他の人が罪を犯さないかどうかを見張る霊的警察官に任命されたわけではありません。むしろ、他の人を愛するように神から派遣されているのです。(2)しかし、だからと言って、罪の事実を黙認してよいというわけではありません。イエスは、「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。」(3節)とお語りになりました。あなたは、罪を犯している兄弟を愛をもって戒めたことがありますか。(3)もし罪を犯している人が悔い改めれば、その人を赦すべきです。一日にそれが七度続いても、赦すべきです。八度目からは赦さなくてもいいという意味ではありません。赦しの心を、絶えず持ち続けなさいという教えです。神さまが期待しておられるのは、他人の罪の記録をつけることではなく、赦しの心を持ち続けることです。あなたは、赦せない人がいるままで夜を越しましたか。今からでも遅くはありません。神の祝福を受けるために、イエス・キリストにあって、その人を赦しましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神よ。私の心に、赦せない人がいないかどうか、点検してください。新しい日を、新しい心でスタートさせてください。いつも、あなたの赦しの愛を運ぶしもべとして私をお用いください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
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ネヘミヤ記1~2、詩篇125~126
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