26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32 それゆえ、イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである。
(1)その人は、「わたしを去らせよ。夜が明けるから」と言った。人間は、神の顔を見て、なおも生き続けることができないからである。(2)しかしヤコブは、「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」と食い下がった。ヤコブには、格闘している相手が神であるとの認識があった。彼は、兄のエサウよりも恐るべき方と格闘していたのである。(3)その人が「あなたの名は何というのか」と問うと、彼は「ヤコブです」と答えた。彼は、兄のかかと(アケブ)をつかんで生まれてきたので、「ヤコブ」と命名された(創25:26)。(4)「ヤコブです」と答えた瞬間、彼は、自分の人生は人と戦ってきた人生であったとの認識を新たにした。それどころか、本当は神と戦ってきたことに気づくのである。(5)その人は、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ」と宣言した。(6)彼には、ヤコブという名以外にイスラエルという名が与えられた。その名は、「サラ」(戦う、支配する)と「エル」(神)の合成語で、「神と戦った人」、「神は戦われる」などの意味を持つ。ヤコブは、神と戦い、人と戦い、勝ったのである(ホセ12:3、4 参照)。しかし、イスラエルという名の第一義的な意味は、「ヤコブのために戦って来られた神は、これからはイスラエルのために戦われる」ということである。これは、兄のエサウに直面しようとしているヤコブにとって慰めとなった。
(1)ヤコブがその人の名を尋ねると、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」という答えが返ってきた。つまり、すでに分かっているはずだ、という意味である。そしてその人は、神としてヤコブを祝福した。ヤコブは祝福を得るために格闘し、その結果、願ったものを得た。(2)彼は、その所にペヌエル(神の顔)という名を付けた。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。(3)「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた」。ここには、敗北と祝福が同時に表現されている。
イスラエルという名の意味について黙想してみよう。神はイスラエルのために戦われる。そして、私たちのためにも戦ってくださる。神の計画に抵抗するのではなく、喜んで従おうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたは私の砦、盾、岩です。私の心からいっさいの恐れを取り除いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一4~5、ルカの福音書18
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら