22 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
23 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。
24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。
25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
あなたは、聖書に記された奇蹟を信じますか。私は、信じます。奇蹟は非科学的だから信じられないという方は、奇蹟を合理的に説明しようとします。しかしそれは、主観的過ぎて、好き勝手な解釈に道を開くだけです。聖書中の最大の奇蹟は、「受肉」(神の子が人間となられたということ)です。「受肉」を信じることができるなら、奇蹟に関する疑問は、すべて解消されます。ヨハネは、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネの福音書1:3)と述べています。つまり、イエスは、宇宙を創造されたお方なのです。その方に、嵐を静める力があるのは、当然ではないでしょうか。そのイエスが、舟の中でぐっすりと眠ってしまわれました。人々への奉仕と心づかいで、心身ともに疲労したイエスの姿がここにあります。主イエスは、私たちのために、なんと貧しくなってくださったことでしょうか。私の苦しみはだれも理解してくれないと思っているなら、今、イエスにその苦しみを告白しましょう。
ガリラヤ湖は、海抜下約200メートルのところに位置します。切り立った山に囲まれていますので、天候の変化が激しく、突風が吹き荒れることもしばしばです。きょうの箇所では、舟に水が入り、非常に危険な状態になったようです。弟子たちの中には、かつて漁師をしていた者も数人いました。その彼らが本気で恐れたのですから、かなりの嵐だったのでしょう。イエスは、風と荒波とをしかりつけられました。ことばで宇宙を創造された方が、ことばで自然現象を静められたのです。湖がなぎになった後、著者のルカが一番伝えたかった状況が訪れます。それは、弟子たちがイエスを恐れたという点です。その恐れは、嵐に対して感じたものとは異質の恐れです。畏怖の念と言ってもいいでしょう。神の臨在の前に立たされているという認識から来る恐れです。彼らは、詩篇89篇9節のことばを思い出したことでしょう。「あなたは海の高まりを治めておられます。その波がさかまくとき、あなたはそれを静められます。」弟子たちは、「いったいこの方はどういう方なのだろう。」という問いかけを発しました。私たちは、その答えを知っています。今イエスが、あなたの人生という舟の中にともにおられます。「イエスは主なり。」と告白し、イエスの臨在を楽しみましょう。
きょうの祈り
全知全能の神よ。御子イエスを、私たちのために遣わしてくださり、感謝します。今、主イエスが、私とともにおられます。そのご臨在を心から喜び、受け入れます。騒いでいる私の心をお静めください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ゼカリヤ13~14、詩篇99~100
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!