19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。
21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。
22 こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。
23 すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」
「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです」
(1)敬虔なパリサイ人であるパウロには、神の啓示に従うしか選択肢はなかった。パウロの奉仕は、ダマスコにいる人々、エルサレムにいる人々、ユダヤの全地方、さらに異邦人にまで広がった。①これは、伝道の広がりを時間順に並べたものではない。②先ずユダヤ人に、次に異邦人にという伝道の原則に基づいた描写である。(2)「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするように」。①ユダヤ人も異邦人も、共に悔い改めが必要である。②悔い改めとは、方向転換である。罪の生活から神への立ち返りである。③立ち返りの証拠(結果)が、正しい行いである。(3)「そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです」。①「そのために」とは、異邦人伝道のことである。パウロは、異邦人はユダヤ教を通過しなくても信仰だけで救われると教えた。②この教えが、ユダヤ人たちの怒りを買った。③ここでパウロは、「アグリッパ王よ、ひどいと思われませんか」と言っているのである。
「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。・・・」。(1)「こうして」は、「しかし」という訳の方がよい。神の守りがあったので、今日まで宣教活動を継続して来た。これは、パウロの実感である。(2)「小さい者にも大きい者にも」は、若い者にも年配者にも、身分の低い者にも高い者にも、という意味である。(3)語って来た内容は、ユダヤ人の預言者たちが預言して来たことだけである。①キリストは苦しみを受ける。②死者の中から復活する。新改訳2017 は、「死者の中から最初に復活し」と訳しているが、これは正しい訳である。(4)パウロは、ユダヤ人にも異邦人にも光を宣べ伝えて来た。
「悔い改めにふさわしい行い」について黙想してみよう。信仰表現としての行いは、悔い改めに続くものである。救いは信仰によって与えられるが、救いの確信は、信仰表現としての行いによって与えられる。このことを覚えよう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。信仰はその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されます。きょうも信仰にふさわしく歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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サムエル記第一6~7、ルカの福音書19
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