31 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、
32 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。
33 騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。
①パウロ殺害の陰謀が発覚した。②このことを千人隊長に知らせたのは、パウロの甥であった。③千人隊長は、直ちにパウロをカイザリヤに移送することにした。④歩兵200 人、騎兵70 人、槍兵200 人を護衛部隊とした。⑤千人隊長は、総督宛の手紙を用意した。⑥エルサレム出発は、パウロにとってはローマに向かう旅の始まりであった。
「そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った」。(1)行程の第一段階は、エルサレムからアンテパトリスまでの移動である。①アンテパトリスは、エルサレムから約60 キロ北西にある町で、かつてはクファル・サバと呼ばれていた。ヘロデ大王が父に敬意を表して、アンテパトリスと命名した。現在この町は、元の名前のクファル・サバになっている。②兵士たちは、夜を徹して移動した。行程は、ユダの山地→シェフェラー(低地)→アンテパトリスである。途中森林地帯を通過するので、伏兵に襲われる危険性があった。そこで一行は、大急ぎで移動し、明るくなる頃にはアンテパトリスに着いた。(2)行程の第二段階は、アンテパトリスからカイザリヤまでの移動である。①カイザリヤまでは約45 キロの道のりである。ここまで来ると、平地が続き、伏兵に襲われる危険性もなくなる。さらに、ユダヤ人人口が少ない地域に入っているので、安全である。②アンテパトリスに着くと、400 人の兵士たちはエルサレムに帰って行った。残った70 人の騎兵が、パウロをカイザリヤまで送り届けるのである。(3)彼らは、3 つの任務を完了した。①カイザリヤに着いた。②総督に千人隊長からの手紙を渡した。③総督にパウロを引き渡した。(4)当時の総督は、アントニウス・ペリクスである。①彼は、紀元52 年から59 年までユダヤの総督であった。②彼は、解放奴隷がローマ属州の総督となった最初の人物で、目的のためには手段を選ばないという政治手法を採用した(3 回にわたる政略結婚)。③「ペリクスの統治は、奴隷の心情で王権を行使したものであった」(タキトゥス)
パウロはカイザリヤで、この邪悪な総督ペリクスと対峙することになる。その結果、2 年に渡って足止めを食うのである。これは、パウロが望んだことではないが、ここには霊的教訓がある。すべてのことに神の時がある。逃れの道が見えないような時でも、神の御業は前進している。
きょうの祈り
天の父なる神さま。いかなる時も、あなたは御業を前進しておられます。あなたの時を待つ忍耐を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ヨシュア記11~12、ルカの福音書5
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