6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。
8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。
9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。
11 ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコに入りました。
「・・・真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです」。(1)ダマスコ体験の記録は、使徒の働きの中に3 回出て来る。①使徒9:1 ~ 19(三人称で書かれている)、②使徒22:6 ~ 16(一人称で書かれている)、③使26:12 ~ 18(一人称で書かれている)。(2)パウロは、天からのまばゆい光に照らされた。つまり、シャカイナグローリー(神の栄光の光)である。
「私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。・・・」。(1)パウロは地に倒れた。と言うよりも、地にひれ伏したのである。神の臨在の前でひれ伏すのは、ユダヤ人としては当然の反応である。(2)次に、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。①回りの者たちは音を聞いただけで、声は認識できなかった。②「主よ。あなたはどなたですか」と問いかけると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」という答えがあった。③「ナザレ」という言葉は、3 回の回心の記事の中でここだけに出て来る。イエス自ら、軽蔑された呼び名を使っておられる。④クリスチャンが迫害される時、主イエスご自身が迫害されているのである。
「私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。・・・」。(1)「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」は、神に忠実なユダヤ人としては、当然の問いかけである。この時点で、パウロは回心を体験していたのである。(2)主はパウロに、「ダマスコに行きなさい」と命じた。パウロがダマスコに行く目的は、当初の意図とは正反対のものとなった。(3)パウロは、シャカイナグローリーによって目が見えなくなっていた。①その状態で、彼は手を引かれてダマスコに入って行った。②やがて彼は盲目状態から解放されるのだが、それは、霊的な盲目からの解放を示唆している。
パウロがダマスコで為すべきことは、あらかじめ神によって定められていた。これは、私たちの人生にも当てはまる原則である。神は、神に敵対していた私たちを顧み、ここまで導いてくださった。それゆえ、ますます神に忠実に歩むことを志そうではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、私の人生をもご計画をもって導いてくださっています。きょうも、あなたに忠実に歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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申命記17~18、マタイの福音書23
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