1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。
4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。
6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。
先に進む前に、ルカが記録しているイエスとパウロの3 つの類似点を確認する。
(1)ユダヤ人による敵対と異邦人に引き渡すという陰謀
イエスとパウロはともに、ユダヤ人による敵対を受けた。①イエスに関しては、ルカ18:31 ~ 34 の記録がある。「さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。『さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。・・・人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。』しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。・・・」。②パウロに関しては、使徒20:22 ~ 23 の記録がある。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです」
(2)3 度繰り返されるエルサレムでの受難の預言
①イエスの場合は、ルカ9:21 ~ 22(弟子たちの信仰告白の後)、ルカ9:43 ~ 45(山麓での悪霊の追い出しの後)、ルカ18:31 ~ 34(エルサレムへの途上)がある。②パウロの場合は、使徒20:22 ~ 23(エペソの長老たちに向けて)と、使徒21:4(ツロの信者たちに向けて)、使徒21:10 ~ 11(カイザリヤにて)がある。
(3)父なる神への従順
イエスもパウロも、ともに父なる神に従い通すという堅い意志を持っていた。①イエスの場合は、ルカ22:42 ~ 44 がある。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。・・・」。②パウロの場合は、使徒20:22 ~ 24 がある。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。・・・けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」
これらの対比を通して、ルカは、パウロの信頼性について証言しているのである。主イエスのことばは信頼できる。それと同じように、使徒たちの教えも額面通りに信頼できる。聖書に対する全的信頼は、健全なクリスチャン生活の土台である。みことばは、私たちの人生を導くともしびである。
きょうの祈り
聖なる神よ。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。聖書を信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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