21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。
22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
第三次伝道旅行(紀元53年の春から56年の春)の内容は、使徒18:23 ~21:17 に記されている。第三次伝道旅行の中心地は、エペソである。パウロは、約3年の間エペソに留まり宣教活動を継続した(エペソでの奉仕は、自由人としてのパウロの伝道活動の集大成である)。私たちは、教会史におけるエペソ伝道の重要性を見落としてはならない。
今、エペソでの伝道が終わりに近づいている。そしてこの箇所から、使徒の働きの新しい区分が始まる。使徒の働きの内容は、7つの教会成長レポートで区切られている(使2:47、6:7、9:31、12:24、16:5、19:20、28:30 ~31)。最後の教会成長レポート(28:30 ~ 31)は、次のようになっている。「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」。この区分法に基づけば、第7番目の区分(使19:21~ 28:31)の内容は、「ローマに至る教会の広がり」ということになる。使徒の働きの記録は、そこで終わる。
第7の区分には、以下のような特徴がある。(1)使徒の働き全体のおよそ3分の1を占める。神学的重要性のゆえに、長くなっているのではない。ルカがこれだけのスペースを割いている理由を考える必要がある。(2)パウロの弁明に多くのスペースが割かれている。合計5回の弁明が記録されているが、これらの弁明は、パウロの無罪性を証明する資料となる。(3)「私たち章句」(’We’section)が多い(20:5 ~ 15、21:1 ~ 18、27:1 ~ 28:16)。これらは目撃者情報であり(ルカが体験している)、やはりパウロの無罪性を証明する資料となる。目撃者情報は、詳細な記録として残るものである(使16:11 ~ 40 のピリピ伝道参照)。(4)この段階で、パウロはエルサレム、そしてローマに目を向け始める。ローマの先には、スペインがあるが、ルカはスペインには触れていない。彼の執筆目的は、福音がローマに伝わるところまで扱うことである。
第7の区分から学ぶ教訓は、次の2つである。①復活のイエス・キリストが、御自身の教会を建てておられる。今もそうである。②使徒たちは、イエス・キリストに用いられる器である。主イエスに忠実に歩むなら、私たちも神に用いられるようになる。神の領域と人間の領域を見分け、きょうも神に忠実に歩もう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。今も御子イエスは教会を完成へと導いておられます。きょうも、御心に歩みます。私を器として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジプト記39 ~ 40、ヨハネの福音書17
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